本日、久しぶりのお休み。午後からNHKの島倉千代子さん追悼番組
「涙の中に笑顔がいっぱい」を見ておりました。長い歌手生活の中での様々な映像が流れ、それを見るとともに
「私、島倉千代子さん好きだったんだなぁ」という思いが深まってきました。
今になって気付いたのが、島倉さんの着姿。襟は必ず白、着付けのお手本のような美しく控え目な半襟の出し方、帯はきっちりしたお太鼓、帯揚げと帯締めは同色で帯留めはしないスタイル。着物自体は、水色や白、クリーム色や銀鼠の淡くておとなし目の色のものが目立ちました。髪型も奇をてらわず、かんざしもポイントにひとつだけ。
私、きっとこういうところにも惹かれていたんですね。さすがにご自身のリサイタルの時はデコラティブなお衣装もありましたが、
芸者姿がまた秀逸でした。島田のかつらがこんなに似合う人も珍しいのではないかしら…。
コロコロと鳴る澄んだ鈴のような歌声、自己を主張しないやさしく可愛い感じが好きでした。「東京だョおっ母さん」の台詞の部分では、毎回泣かされてしまいます。
実は先日行った桐生にも、島倉さんの足跡があります。新婚時代に桐生に住んでいた父母が、近所の方から島倉さんの子供時代の話を聞いたと言っていたので調べてみたところ、桐生タイムスに
「島倉千代子さんは1944年から1年の間、空襲の可能性が高まった東京を逃れ、桐生の叔父の家に疎開した。通ったのは東国民学校、いまの東小学校である。」という記事が載っていました。桐生市では島倉千代子さんに依頼した
「桐生機街詩の街(はたまちうたのまち)」という歌もあるらしいです。
何気なく歌っているようでいても、「人生いろいろ」なんかはとても難しい歌です。カラオケで歌ってみるとよくわかります。昔の歌手の人って、本当にすごいですね。自分でも、思いがけない喪失感…同じことを、写真家の浅井慎平さんもおっしゃっていました。また昭和の時代の貴重なものがひとつ消えてしまいました…。

