2010/6/12

うつくしいもの  詩歌

うつくしいもの(八木重吉「秋の瞳」より)


わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ


返句として

山の端に夕月のかかり夏薊

*美しいと風景はどこにでもあるが、美しいと思える心は簡単には見つからぬと思う。


2010/6/11

いのり  詩歌

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インプレス刊「photoコレクション」より

いのり(山村暮鳥「聖三稜玻璃」より)

つりばりぞそらよりたれつ
まぼろしのこがねのうをら
さみしさに
さみしさに
そのはりをのみ。

返句として

幻の魚影残し雲の峰・・・修司


2010/6/10

亀  詩歌

亀(萩原朔太郎「月にほえる」より)

林あり、
沼あり、
蒼天あり、
ひとの手にはおもみを感じ
しづかに純金の亀ねむる、
この光る、
寂しき自然のいたみにたへ、
ひとの心霊(こころ)にまさぐりしづむ、
亀は蒼天のふかみにしづむ。


返句として

夏雲と亀を浮かべて沼の昼・・・修司

*来月、萩原朔太郎記念館に行くので朔太郎の詩を読み返している。


2010/4/21

鶯の・・・。  詩歌

鶯の一句

「鶯の身を逆さまに初音かな」     其角

私が教科書以外の本の中ではじめて出会った俳句である。
横溝正史が「獄門島」という金田一シリーズの中の小説でこの句を効果的に使っていた。
映画やドラマに何度もなっているので、ご覧になった方も多いと思うが、私としては浅野ゆう子の狂女

役がぴったりだったと思う。三姉妹の三女の役で惨殺されてしまうのだが、振袖のまま梅の古木に逆さ

吊りにされた姿は凄惨な美しさがあった。それはまた、其角の句の中にある美しさを引き出す効果もあ

った。この句を現代的に解釈してみると、「鶯」と「初音」は季重なりで、それも「初音」といえば当

然「鶯」のことだから必要のない表現である。また、古来よりの評であるが「初音」の「鶯」は「身を

逆さまに」して遊ぶほどの余裕はもっていないそうだ。
してみるとこの句は其角の想像の産物ではないかと言われる。
はたして其角はこの「鶯」を本当に見たのか、それとも想像の産物なのか、またはこの句自体が何かの

暗喩なのか、想像を働かせて読んでみたい句である。

2010/3/26

感謝  詩歌

ひろむ先生からリンクの許可をいただく。
本当は今日あたり東京の句会に行きたかったのだが、なかなかそうも行かない。
メールでお話いたところ、快諾を頂く。

先生の「句集千冊千句」を拝読していると、力付けられると共に、涙さへうかぶ。
千冊の句集を読む。
その膨大な時間と膨大な句集。
私にもその千分の一の力が欲しい。

3月25日(鴎座&ひろむの広場)の記事より

春満月という句があったがそれはただちに池田澄子の「初恋のあとの長生き春満月」を想起させる。それを超えることは私の課題。


ひろむ先生の作品(最近の鴎座より・野風増選)


愛よりも恋の手管に冬苺
一葉忌鬼門に出ねば帰られず
惑星の直列そして青木の実
どうせなら鯨になって二人の湯
寒晴や生きとし生けるものに口

切れ味のかもめの一羽落葉の詩
空蝉の形而上学その上に
荘子なら梨食い散らかして寝てしまう
一青窈は完熟の桃触らない
愛を語ろうカトレアの下日陰へご
愛ならば藁布団とてなんなりと
花きしぶ引力はわが乳房とて
雲の峰十七文字は散りやすく





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