2010/4/7

三分間俳句講座17  三分間俳句講座

情念俳句

昔、「キーハンター」というアクションドラマがあった。
その中で、岡田真澄がゲスト出演する回があった。
グーグルで調べて見ると1973年3月31日放送の361回目の「魔女と黒猫が踊る夜」らしい。
そこまでは分かるのだがその内容がわからないのが歯痒い。
私の記憶では、恋人を失った山荘の主人が、悪者を追って山に入り込んだキーハンターの野際陽子を助けるという話だったような気がする。山荘の主人は恋人を失ったショックから世を儚んで山に籠もっているのだが、たまたま山荘に逃げ込んだ野際が恋人と瓜二つなので恋人と思い込んでしまう。そして命をかけて野際を守ろうとするのだが、最後には射殺されてしまうと言う話であった。この純粋な山荘の主人にとても感動してた覚えがある。

昭和の中ごろ、実際にこんな世間離れした男がいるわけが無かったし、現在もいないであろう。
ヴィリエ・ド・リラダンの「残酷物語」の中にも喪った恋人の墓にこもる男の話があった。
しかし、男としてこのような感情は女々しい事であると言われがちだ。

でも、もし女性ならば、若い頃喪った恋人のために一生を捧げるというのは美しいと思われるかもしれない。
いわゆる「情念」である。
情念とは『感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。「―の炎を燃やす」』(デジタル大辞泉)
と定義される。そして女性的な感情の代表格のように思われる。
「キーハンター」の中で山に籠もり恋人の思い出と過ごす男は情念的であり、リラダンの恋人の墓に入る男も情念的である。
しかし、これは例外的なもので男の情念は女々しいとされる。
女性の情念は芸術的に表現される。
一番分かりやすいのは中島みゆきの歌であろう。
彼女の別れ歌や女歌はいまも多くのファンを魅了している。

俳句でも情念を詠んだ俳句は多い。
作者が意識するしないを別としても情念的になる時がある。
と、思い「情念俳句」で検索して見ると以外に少ない。

『寂しいと言い私を蔦にせよ(神野紗希)』くらいしか見つからない。

私は山頭火の
『うしろすがたがしぐれてゆくか』
は情念俳句だと思う。
この句の中にあるのは匂うほどのナルシズムであり、自己憐憫である。
山頭火の句の中にはこの手の作品が多い。

私自身も
『恋しくて蟇になりたる漢かな』などという句を作った事がある。
これは泉鏡花の「高野聖」をモティーフにしたものだが情念俳句であると思う。
後から上五がいけないので
『蟇穴をいづるは恋か小夜霞』と直した。

一般的に俳句では私情は小主観として嫌われる。
しかし、それをあえて強く出す事が「情念俳句」であると思う。
決まれば美しい句が出来上がる。













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