会期末最終土曜日、朝8時半から3時間並んで、観てきました。
混んではいましたが、大きな掛幅や屏風、障壁画は、人影越しにも見られました。しかし、絵巻はまず近づくのすら難しいです。
地下1階では、まず京都・鹿苑寺大書院の障壁画。
伊藤若冲(1716(正徳六)年〜1800(寛政十二)年)が、四十四歳の時、かねてより縁のあった大典和尚の推挙により、五十面に及ぶ障壁画を水墨で描いています。
そのうち、「菊鶏図襖絵」と呼ばれるものは、菊の花が打ち上げ花火のよう! 鶏は小さく、菊花が画面上方に大きく描かれているので、なおさら打ち上げ花火に見えます(笑)。
「旭日鳳凰図」(絹本着色、一幅、宮内庁三の丸尚蔵館)と「孔雀鳳凰図」(絹本着色、双幅、岡田美術館)。「旭日」のほうは、二羽描かれているのですが、長い尾羽根が岩陰でどういう曲線を描いているのか?
「虻に双鶏図」(紙本墨画、一幅、細見美術館)、カワイイ。
「虎図」(紙本墨画、一幅、石峰寺)と「竹虎図」(紙本墨画、一幅、鹿苑寺)。怖くない虎は、もう一頭、2F会場のプライス・コレクションのコーナーにも
「虎図」(絹本着色、一幅、宝暦五年(1755))があります。鹿苑寺とプライス・コレクションは、京都・正伝寺に伝わる「虎図」を写したものと言われています。
「亀図」(紙本墨画、一幅、寛政十二年(1800)年、鹿苑寺)、賛の末尾「乙酉立春日 八十七翁」と読めるのですが、寛政十二年は、乙酉ではないのですが?
「乗興舟(じようきょうしゅう)」(紙本拓版、一巻、明和四年(1767)、京都国立博物館)、なんと白黒反転の長大な絵巻。
乗興舟/文化財オンラインで見られます。拓本の要領で作ったのだとか、それにしてもグレーってどうやって刷りだしたの? とか、長いグラデーションの版はどうやって作った? とか、不思議な魅力にあふれる作品です。ちなみに跋文は、大典和尚、「動植綵絵」完成後、和尚が淀川の船下りに若冲を誘い、この作品が生まれたそうです。
1階へ移動。
ここは「釈迦三尊像」(絹本着色、三幅対、京都・相国寺)と「動植綵絵」(絹本着色、三十幅、宮内庁三の丸尚蔵館)。
これら三十三幅は、宝暦七年(1757)頃より明和三年(1766)頃にかけて制作されたものと考えられていますが、その間に、先ほどの鹿苑寺の障壁画、讃岐・金刀比羅宮の奥書院の障壁画を手掛けています。中央の三尊像から左右それぞれ春夏秋冬の順に配置されているようです。そのうち「秋塘群雀図」は一羽だけ白い雀が! 突然変異? 「芦鵞図」羽の白さが際立っているので、野生の鳥には見えません(笑)。「菊花流水図」白菊の花弁が「フグ刺し」のように半透明です。
2階へ移動。
「菜蟲譜」(絹本着色、一巻、寛政四年(1792)、佐野市立吉澤記念美術館) 晩年の作品。全体に薄墨を刷いているのか、裏彩色なのか、絵の具が違うのか、「動植綵絵」などと違い、全体的に落ち着いた色合いです。佐野市立吉澤記念美術館のサイトで見られます。→
伊藤若冲 菜蟲譜
「仙人掌群鶏図襖絵」(紙本金地着色、六面、寛政二年(1790)、大阪・西福寺)。襖は当然裏側もありまして、
「蓮池図」(紙本墨画、六幅、寛政二年(1790)、大阪・西福寺)、会場でも表裏をなすように展示されていました。金地の豪華な画面の裏側に、水墨の静かな蓮池を描くという鮮やかな場面転換は、無常観にも通じるような気がしました。
「三十六歌仙図屏風」(紙本墨画、六曲一双のうち左隻、寛政八年(1796)、岡田美術館) 軽妙洒脱なこの雰囲気、誰かの絵に似ていると思っていたら、山口晃氏の描く人物墨画にも通じるような。
「石燈籠図屏風」(紙本墨画、六曲一双、京都国立博物館) やけに横長に感じます。紙本墨画となっていますが、下地を黄土に着色していますよね?
「象と鯨図屏風」(紙本墨画、六曲一双、寛政九年(1797)、MIHO MUSEUM) 鯨、手抜きじゃ? 象の耳、違うから(笑)でも、象の三日月目はアニメチック。
象と鯨図屏風 / 文化財オンライン
「菊花図」(紙本墨画、一幅、寛政四年(1792)、デンバー美術館) 菊の花は、筋目描(すじめがき)という技法で描かれています。この水墨画だけでなく、「虻に双鶏図」の鶏の羽毛とか、鹿苑寺の障壁画にも見られます。墨を入れない白い部分を輪郭線のように残して描いていく技法。画仙紙に墨が染み込んで広がる大きさをあらかじめ予測して、墨をつけていくのですか?
若冲に関しては、いろいろ興味が尽きないところですが、
名前の「若冲」については、『老子』によるらしいです。
こちらのブログが詳しいです。→
伊藤若冲の「冲」字考<第一話>
/ ふろむ京都山麓
会期:4月22日(金)〜5月24日(火)
東京都美術館(上野公園)
滞在時間:11:30〜13:00

0