上野千鶴子 古市憲寿『上野先生、勝手に死なれちゃ困ります−僕らの介護不安に答えてください』光文社(光文社新書)、2011年
(書評ではなく、引用による要約です。今回は長いです orz)
本文は、1985年生まれの古市氏が、親の介護に対する漠然とした不安について、1948年生まれの上野氏に問いかけるという対談形式になっているので、読みやすいです。「はじめに」の代わりに、対談の端緒となった古市氏から上野氏への手紙、「あとがき」の代わりに、対談を終えた上野氏から古市氏への返信を載せています。
以前、香山リカ著『「看取り」の作法』を紹介しましたが(
過去記事)、香山氏は、父親の死に直面し、「看取り」の準備が必要なことを説いていました。一方、古市氏は、ご自身がこの先、直面するだろうと思っている、親の介護について、上野氏から聞き出そうとします。しかし、対談は、介護問題だけにとどまらず、若者問題にまで及びます。もちろん、介護保険制度の利用についても言及しています。親の介護についてどう考えたらいいのかわからないでいる子ども世代だけでなく、漠然とした老後の不安を抱えている中高年にも読んでいただきたい良書です。
まず、古市氏から上野氏へあてた手紙から抜粋
もちろん、どのように老いて、どのように介護されるかは、本人が決めるべきことだとも思います。こちらとしても本人が望まないことをお節介でいろいろしたくない。
だからこそ、今のうちに親を介護する心構えを教えていただきたいのです。
(中略)
上野先生に教えていただきたいのは、介護に関する実践的なアドバイス、というよりも、「あらかじめの心構え」なのです。親を介護する準備、親に死なれる準備、その心構えを教えていただけないでしょうか。
そして、もう一つご相談したいことがあります。それは最近にわかに話題になっている世代間格差、そして日本の将来に関する問題です。
(中略)
少子高齢化は止まる気配がありません。(中略)社会保障も、今までは3人の現役世代が1人の高齢者を支えていたのが、約10年後にはそれが2人で1人になるといいます。若者向けの社会保障支出も、ヨーロッパに比べて低い。そしてそれが「団塊の世代の問題」ではないとしても、巨額な財政赤字が将来世代へ残されようとしています。
いったい、僕たち「若者」は明日からどうしたらいいのでしょうか。
(中略)
かつての女性運動がそうであったように、「若者」も弱者としての自分たちを告発すべきなのか、ポジティヴアクションのようなものを求めていくべきなのか。それとも違った選択肢があるのか。(p.7〜11)
対談では、上野氏はまず、古市氏の言う不安の中身を分節してから、一つ一つみていきます。
上野 まず、親子関係が徐々に変わっていくことに対する関係不安。次に実際に介護が始まっちゃったらどうなるかっていうことに対する介護不安。これはメディアでも嫌っていうほど煽られてるよね。そしてその時、お金はどうすればいいのかという経済不安に、サービスはどうすれば調達できるのかっていう制度不安。
それに絡んで、自分はどこに住むのか、親と同居しなければいけないのかという同居不安。そしてその際、仕事はどうするのかという就労不安。
さらに、親が要介護状態になったあと、親の生き死にまでを含めたいろいろな意思決定を、どう引き受ければいいのかっていう意思決定不安。その意思決定を自分がやるしかないことへの絶対的な孤独への不安・・・・・・とか、山ほどありますよね。(p.25〜26)
とまあ、親子関係が変わっていくことへの不安から入っていくわけですが、上野氏と、古市氏の価値観の相違も見事です。

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