イエスタ・エスピン=アンデルセン 著、京極高宣 監修、林昌宏 訳、ブルーノ・パリエ 解説『アンデルセン、福祉を語る 女性・子ども・高齢者』NTT出版、2008年
全体的に見て、子育て、教育、介護、貧困対策などを社会的費用(ソーシャル・コスト)ととらえ、女性の就労や子どもの教育環境を整備することで社会全体に利益をもたらすと考えて、福祉制度による収支のバランスを考えていこうということだと思います。デンマーク、スウェーデンの制度を贔屓目に書いているような部分も見られますが、各国の福祉制度の違い、特色として読みすすめることもできるのではないでしょうか。監修者による改題「アンデルセンの福祉国家論と家族政策論について」が理解を助けてくれます。
監修者解題によれば、原題は「福祉国家に関する三つのレッスン」で、「フランスの一般読者向けに比較的わかりやすく語られた啓蒙書」ということです。が、少なくとも、「所得再分配」「逆進課税」などの用語がわかるレベルでないと読みすすめられません。また、統計資料等の国際比較では、デンマーク、スウェーデンと、イタリア、スペイン、アメリカとフランスを比較して述べているところが多く見られます。従って、フランス向けに書かれていることを日本に置き換えて考える場合は、フランスと日本の違いに気をつける必要があるでしょう。欧米諸国が抱えている以上に日本の課題は、緊急を要するということは、よく言われているところです。とりわけ、低い合計特殊出生率と高齢化の加速から、今後の労働人口の推移や社会保障問題について考えねばならないことは、新聞やニュースでも取り上げられています。そのような課題に対する、エスピン=アンデルセンの提言を「三つのレッスン」とした本です。
「三つのレッスン」とは、邦題にあるように、女性・子ども・高齢者に関するレッスンのことで、それぞれ「家族の変化と女性革命」「子どもと機会均等」「高齢者と公平」と題されています。女性・子ども・高齢者のなかでは、特に、女性と子どもが重要と考えています。私個人としては、日本の福祉は、どう見ても高齢者優先に見えるので、高齢者よりも、女性と子どもという発想にまず、新鮮さを感じました。
「女性」に関するレッスンでは、終始、「脱家族化」という言葉が出てきます。「脱家族化」とは、これまで育児でも介護でも、家族に依存してきましたが、これらを、公共サービスや民営化にのせようという考え方です。女性の社会進出と同時に、これまで家庭内で女性の役割分担とされてきた家事、育児、介護などに対する女性の負担軽減と同時、それに代わる、サービスの提供を考えなくてはならないということです。そのためにも、男性が家事、育児等に参加する、男性の「女性化」が必要と考えています。女性の、将来にわたる就労を支援することで、家族にとっては収入が安定し「脱家族化」が進み、国にとっては税収が安定することにつながります。家族制度に依存してきた日本が、福祉の制度改革を行なうにあたって、この考え方は重要なのではないでしょうか。
子どもに関するポイントは、「社会的相続」による格差拡大をどう解消するか、という点です。所得再分配によって、貧困を最低限に抑えたとしても、貧しい家庭に生まれ育った子どもは、失業のリスクも高く、貧しい家庭の親となる可能性が高いということが書かれています。「カネ」「時間投資」「文化」の三要素をうまく組み合わせることが提言されています。このうち、時間投資とは、親が子どものために教育的時間を割くこと、子どもの発育を促す活動に時間を投資することを意味しています。文化とは、家庭における学習環境や、子どもの学習能力を十分刺激し、支援することのできる親世代の能力を指します。そして、これらの社会的負担に対しては、
(優秀な)子どもは社会に大きな利益をもたらすが、子どもを育てる費用の大部分は親が負担したのであり、平等の原則からすると、すべての国民に対して包括的で寛容な家族手当をおこなうべきだという原則である。子どものいない人々は、フリー・ライダー(子どもが生み出す社会の外部性〔外部経済〕を、費用を負担することなく享受している)とみなすことができる。そこで、彼らに費用を負担するよう、請求しなければならない。
高齢者に関しても、不平等が存在します。それは、平均寿命の延びが、特権階級にのみ有利であるということです。高学歴で安定した収入があり、高度な医療を受けられる人は、寿命を延ばし、長い年月にわたって年金を給付され、安定した生活を保障されますが、そうでない人は、長生きできず、年金の給付も少なく、支払い損になってしまうことです。そのようなアンバランスを解消するためには、公的な年金制度や社会保障制度が必要となります。民間の年金や保険では、特権階級だけが優遇されてしまうからです。
現在の日本のように公的な年金や健康保険に対する不安、不信が高まり、国民が、民間の年金や保険へ流れてしまうことは、国の福祉制度を危うくするだけでなく、格差を助長し生活しづらくなってしまう可能性も高いといえるかもしれません。
福祉とは、次世代を見据えた、包括的な視点に立って考えられなければならないものだと、つくづく考えさせられました。

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