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イノセンス −いのちに向き合うアート > 7/17〜9/20
雑然と寄せ集め的な作品群、チラシには、38作家、約200点とありますが、作品リストには、作品番号が202まで振ってあり、草間彌生は、34面で1点という数え方なので、ボリュームはあります。雑然と寄せ集め的と書いたのは、見た目には共通項が見つからないからです。それは、次のようなコンセプトによるものだからです。
本展では、障がいのある方や独学の画家の作品を紹介するとともに、障がいを抱える人のアートに興味を持って積極的に関わるアーティストや、いのちに向き合う表現を志向して制作する現代のアーティストたちの作品も区別することなくともに展示
見た目でなく、そういう背景に着目した展覧会というわけ。でも、あまりにもばらばらでは見る方が疲れるからとの配慮か? 章立てがしてあります。
I きれいな色・透明な色・激しい色
II 増殖するかたち
III 身のまわりの世界
IV 物語をつむぐ
V 痛み・怒り・恐怖・記憶
ところがですよ! 展示は、章立て順でもなく、作品リスト順でもない!!
う〜〜〜ん、何考えてんだ? 来場者を混乱させるのが、目的か?
この美術館は、興味深い企画展をやってくれるので、期待はしているのですが、毎回、何かしら苦言を書きたくなるのはどうしてなんだろうねぇ。
そんなことを思っていたら、<イノセンス −いのちに向き合うアート>というタイトルにも一言書きたくなってきたぞ。そもそも「いのち」に向き合わないアートってあるかしら? 無機質な連続模様の商業デザイン? 工業デザイン? デザインは、アートではないよね。 ほとんどのアートは、イノセンスから生れてくるのではないのですか?
そんなことを考えると、この展覧会のタイトルは、逆説なのではないか?
この展覧会を企画した学芸員、何故、もっと「素直に」見て下さいと言えないの?
さて、個人的には、奈良美智の立体造形が目当てでした。
が、奈良美智にたどり着くまでが結構長かった。実際、奈良さんの作品群は、出口に近いほうですよ。
篠原佳尾<CaosのデカルコマニーE夫人の庭 A,B>(1977、栃木県立美術館所蔵) 小さめの用紙に、ロールシャハ・テストのような左右対称の模様が、美しいグラデーションを伴なって描かれています。
今村花子、今村知左撮影<無題>(1995〜2000頃、作家蔵) もやしを並べたのと、食べた後の魚の骨の写真とか好きです。
渡辺豊重<三日月様今晩は>(2007、作家蔵) このコーナー(7点)だけ、作品に触(さわ)ることができます。 と言っても、特別な感触はなかったです。
草間彌生<愛はとこしえ>シリーズ(50点)より34点(2005、作家蔵) 草間さんというとピンクの水玉模様の印象なんですけど、130x160cmの大画面にモノクロ、シルクスクリーンが34点は、圧倒的大迫力! で、離れてみると虫のようだったり、シダ植物のように見るのが、近づいてみると目や人の横顔がびっしり描かれているというもの。
その草間さんの作品の前に、佐々木卓也の立体造形作品。作品名に()をつけて、「〇〇ちゃん」と、女の子の名前がついているのがほほえましい。
丸木スマ<簪>(1955、原爆の図丸木美術館所蔵)、大道あや<しかけ花火>(1970、作家蔵) 母娘の二曲一隻屏風。
奈良美智<月頭巾><舌だし大壷><のほほんバッグ>以外は高さ10〜20cm程度の陶製小品。どれも奈良ワールドののほほんとした雰囲気が漂っています。ほかにも紙にインク、色鉛筆で描いた作品が9点。
続いて、
コレクション展(平常展)
1階には、
田中一村<ほおずきと葵>(1949〜50)、<秋草図>(1949〜50)、<四ツ手網>(1947頃)
濱田庄司
松本姿水<彩秋>
2階には、
AY-O(あいおう)<レインボー・レインD>(1977)
オノデラユキ<古着のポートレイト No.36>(1996)
篠原有司男<モーターサイクル・ママ>(1973)
参照サイト
栃木県立美術館
メモ: 料金 800円
滞在時間 約1時間
今回は、障害者施設の利用者の見学に同行したので、その立場から気づいたことを下に記録します。

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