栃木市内美術系スポット3か所巡り。
通りを歩いていると、あちらこちらで雛飾りを見かけます...「あそ雛まつり」(あそびな?)、期間3月3日まで。
参照サイト
栃木市観光協会
まずは、とちぎ蔵の街美術館、ここにも雛飾り。
館内に入ると、
清水登之(しみず とし、1887〜1945)<大麻収穫>(油彩、カンバス、130x162cm) フランスから帰国し、日本の風景に馴染んできた、昭和4年(1929)の作品。栃木市の北部から鹿沼市へかけての農村では、かつて大麻が栽培されていました。大麻の茎から繊維を採るんです。大人の背よりも成長した大麻を刈り取り、束にして、湯につける、その作業風景を、中景に麻畑、遠景に山並みを配して、描いています。 この絵は中学生の頃にも見ています。農村の生活の素朴さと力強さを感じます。
さて、今回の目的は、
田中一村(たなか いっそん、1908〜77)。
2006年10月に同美術館を訪れた時の「田中一村の世界」の記事は
こちら。
今回は、8点、いづれも、制作年代が1945〜54年、千葉に移ってから、九州・四国スケッチ旅行の前までの期間の作品。
<鶴寿千歳>(紙本墨画着色、一幅) 1羽の丹頂鶴を水墨画で。
<秋草図>(紙本着色、一幅) 山葡萄、リンドウ、笹などを描き、上へ伸びた枝先に小禽1羽。紅葉した山葡萄の葉にたらし込み。
<ほおずきと葵>(紙本着色、一幅)
<蝶>(絹本着色、額装)
<風雲急画>(絹本墨画着色、色紙)
<松林の茶庵>(絹本墨画着色、色紙)
<桜>(絹本着色、色紙)
<秋山水>(絹本墨画着色、色紙)
田中一村の作品は後期(2/3〜2/28)のみ展示、前期(12/16〜2/1)には小杉放菴(1881〜1964)の掛幅6点が展示されていたそうで、これもいづれお会いしたい。
2階には、陶磁器や竹工芸などを展示。
北大路魯山人<志野茶碗>(1950〜55頃)
加藤土師萌<釉裏金彩波千鳥文茶碗>(1966年頃)
加藤唐九郎<志野唐津茶碗 銘心月輪>(1973年頃)
清水卯一<蓬莱掛分茶碗 銘山々>(1993年頃)
加藤孝造<志埜茶碗>(1997年頃)
などが良かった。後期展示品総数58点。
参照サイト
とちぎ蔵の街美術館
錦鯉
写真は、山車(だし)会館前のいけすですが、市内を流れる、巴波川(うずまがわ)にも、たくさん泳いでいます。
表通りの反対側に「栃っ子広場」というスポットがあります。写真の、蔵造りとレンガ造り風の建物に挟まれた空間。
そこに「あだち好古館入口」と書かれた看板。ここには、かつての呉服問屋、安達家の明治時代の当主が集めた、浮世絵、書画、骨董類が詰まっていました。蔵は4つに仕切られていて、それぞれが2階造りなので、計8室、うち7室が展示室。
1号室は歌舞伎絵。「里見八犬伝」「菅原伝授手習鑑」などの場面をあらわしたもの。「豊國」の文字が読めるが、これは、三世豊国=歌川国貞(1786〜1865)のことらしい。
2号室に、狩野常信(1636〜1713)<王親子虎狩図屏風>(六曲一双)、鮮やかな色彩は残っているが、傷みがひどい。
喜多川歌麿<山姥と金太郎>(絹本着色)、茶色く絹やけしていますが、歌麿の肉筆画
一寿斎芳員<山城国宇治川合戦>などの浮世絵。一寿斎芳員=歌川芳員(生没年不詳、作画期は嘉永年間〜明治3年頃(1848〜54)歌川国芳門下)
3号室、歌川広重<保永堂版 東海道五十三次>全55枚。「蒲原」の空のぼかしは、下のほうが濃くなる。「亀山」は山際の一部に紅のぼかし、空に墨の一文字ぼかし。
4号室に、頼山陽や勝海舟の書。
随分ぶっ飛びのコレクションですが、展示は、場末の骨董屋のようなユルさ。さらに、手書きの張り紙が

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