琳派から日本画へ−宗達・抱一・御舟・観山− (会期:11/8〜12/25)
東京国立博物館では大琳派展が終わったばかりですが、その余韻というか、名残を暖めるように、千鳥ヶ淵へ行ってきました。この場所での展覧会も来年7月まで、その後は、広尾へ移転です。
大琳派展に出品されたものでは、
俵屋宗達・本阿弥光悦<鹿下絵新古今集和歌巻断簡>、<四季草花下絵新古今集和歌短冊帖>、
伝・宗達<槙楓図屏風>(六曲一隻、紙本金地彩色)
酒井抱一<菊に小禽図>、<芦に白鷺図> これらは、亀田綾瀬の賛が入ったもの。
<菊に小禽図>の賛
芳叢ヨウ(火へんに華)々殿秋光 (芳叢、ようようとして秋光をしずめ)
嬌倚西風学道粧 (嬌倚の西風、道粧を学ぶ)
一自義煕人採後 (一つ義煕の人 採りてより後)
冷煙疎雨幾重陽 (冷煙疎雨、重陽をねがう)
山が紅葉に彩られることを「山粧(よそお)う」というから、「道粧」は、秋の野や里に菊が彩りを添えることを言ったものでしょう。「義煕人」とは、義煕元年(405)に官職を辞して郷里へ帰った、陶淵明(365〜427)を指したもの。
大琳派展に出品されていた、抱一<秋草鶉図屏風>は出ていなかったが、かわりに
抱一<月梅><秋草><宇津の山>
そして、
鈴木其一<四季花鳥図屏風>(二曲一双、紙本金地彩色)、<伊勢物語(高安の女)>(こっちは、其一らしくないから、誰かの作風を真似て書いたのかもしれない。)
加えて、
本阿弥光甫<白藤・紅白蓮・夕もみぢ>(三幅対、絹本彩色) 署名や印は、普通、本紙の左右の隅、絵の邪魔にならない位置にするものだが、この掛幅では、描かれている花や葉の上に置かれている。
明治から昭和の作品では、
加山又造<裸婦習作> 東京国立近代美術館所蔵の<千羽鶴><春秋波濤>を見れば、琳派を意識しているのは、一目瞭然だが、この裸婦は、クリムトを思い起こさせるような...。
東山魁夷<満ち来る潮> 壁画ですよ! 全体が見渡せるところまで下がって見ようと思ってもちょっと難しい。 ゆっくり移動しながら見ると、きらめく切箔が、スローモーションの波しぶきのよう。 そのゆっくりとしたきらめきに、頭の中では、なぜか、birdの「満ちてゆく唇」がまわり始めた(笑)。
菱田春草<月四題>(墨画淡彩) 春夏秋冬四幅揃い物。秋の景の葡萄なんて、東京国立博物館・東洋館や先日の栃木県立美術館で見た、中国や朝鮮の花鳥画よりも、江戸時代の琳派の葛や蔦を思わせます。 確かに葡萄なのですが、質感が違うと言うか、...。
荒木十畝<四季花鳥>(絹本彩色) 春夏秋冬四幅揃い物。 四幅並べると極彩色に見えるが、一幅ずつであればそんなことはなくて、秋の景からは、下村観山<木の間の秋><白狐>なども連想させられます。
福田平八郎<彩秋>って、
小林古径<しゅう采>(しゅうの字、火へんに禾) の、タイトルパクリ?
速水御舟は、良い作品を何点もお持ちのこの美術館、墨画作品からは<桔梗>、<白芙蓉>そして、
<名樹散椿>(二曲一双、紙本金地彩色) この屏風の金地は、金砂子を何度も撒いてはすり潰していく「撒きつぶし」という技法を使って、むらのない平板な感じに仕上げてあるそうです。 そしてこの屏風の両脇に、伝・宗達<槙楓図屏風>、其一<四季花鳥図屏風>という展示。 宗達の「槙」も御舟の「椿」も屏風の右から左への幹をくねらせているし、其一の「向日葵」もまた、右隻から左隻のほうへ向いている。
それらと向かい合わせに展示してあるのが、
下村観山<老松白藤>(六曲一双、紙本金地彩色) 宗達の「槙」や御舟の「椿」に比べて、圧倒的な松の幹の太さ。 しかし雰囲気が違うのは、それだけではない、何だろうと思ったら、...明るいのです。 幹や葉に光があたって照り輝いている雰囲気が出ているのです。 「光」という要素は、琳派には無いんじゃないだろか? もちろん、月明かりの景とかありますけど、琳派で描かれているは、影から光を想像させるのであって、対象そのものに光っている、そういう描写は見ないような気がしますけど?
参照サイト
山種美術館
メモ: 最寄り駅 東京メトロ東西線九段下駅、半蔵門線半蔵門駅
料金 800円
滞在時間 約1時間
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