特別展<
大琳派展−継承と変奏−>(会期:〜11月16日)が3週目に入ったところで、再び会いに行って来ました。(1回目→
10月11日の記事)
今日は、朝からどんより曇っていまして、日差しがない分、歩きやすい、と思っていたので、出かけたのですが、同じように考えて、人が集まるか?、それとも、天気が崩れると判断して、外出を見合わせるか?
会場内は、どのエリアも人が多いですが、見てまわるのに不自由するほどではありませんでした。
本文中、作品名にリンクが設定してあるものは、クリックすると東京国立博物館、京都国立博物館等、各所蔵サイトの作品詳細ページで画像を見ることができます。作品名の後の括弧内は展示期間と所蔵先。東博は、東京国立博物館、京博は、京都国立博物館の略。
本阿弥光悦(1558〜1638)・
俵屋宗達(生没年不詳)
今回は、
伊年印<月に秋草図屏風>(〜11/3、出光美術館)と、伊年印<草花図屏風>(〜11/16、大和文華館)
<草花図屏風>のほうは、とうもろこしなど大きな葉物が加えられている。
伊年印<桜芥子図襖>(〜11/16、大田区立龍子記念館)は、画面上半分に桜、下半分に芥子やアザミ、わらびなどを配しており、屏風と襖では、変えるものなのか、それとも、この作品だけ上下から植物が伸びてくるようなデザインになったのか。
<平家納経>(〜11/16、2週毎に巻替、厳島神社)は、「化城喩品第七」の巻。
光悦<四季草花下絵新古今集和歌色紙帖>(〜10/19、2週毎に頁替、五島美術館)にも銀泥の朝顔や月、金泥のつた。
光悦<月に兎図扇面>(〜11/16、畠山記念館)。 光悦が描いたとされる絵画作品は少ない、そのひとつ、月を見上げるうさぎと藤原秀能の和歌(新古今和歌集)。
<色紙貼付桜山吹図屏風>(〜11/3、東博)。 山吹色という言葉があるが、そのまま、金色の山吹の花。
光悦謡本(〜11/16、3週間で頁替、法政大学能楽研究所・法政大学鴻山文庫)のうち、「清経」は蔦、「殺生石」は鹿、「盛久」は鶴の図案の表紙が展示してある。
風神雷神図エリアには、光琳、抱一、其一が並びました。
光琳<
風神雷神図屏風>(〜11/16、東博)、抱一<風神雷神図屏風>(〜11/16、出光美術館)、其一<風神雷神図襖>(〜11/16、東京冨士美術館)
光琳と抱一のは、よく似ているから、並べると微妙な違いが見えてくる。 光琳の風神・雷神は、同じ高さで対面しているが、抱一のほうは、風神がやや低い位置にいる。 抱一のほうは、光琳のよりも、陰影をつける墨線が少ないので、平面的ベタ塗りに見える。 背景の墨も、光琳のは、雷雲だが、抱一のは、岩や崖に見えなくもなく、其一にいたっては、荒海の波頭のようでもある。
光悦の楽茶碗、書状は、全期間通し。
蒔絵硯箱のうち
<
樵夫蒔絵硯箱>(〜10/26、MOA美術館)は、内側には、蕨があることから季節は春、粗朶(そだ)を背負い、春の山路を下る樵夫(きこり)は、謡曲「志賀」に取材したとされる。 山桜の樹の下で休む老若二人の樵夫が、大伴(大友)黒主(おおとものくろぬし、紀貫之撰六歌仙の一人)の化身だったという話。 古今和歌集仮名序に、
「大伴黒主はそのさまいやし。いはば薪を負へる山人の花の陰にやすめるが如し。」
と評されていることに由来すると。
そういえば、今回の企画には含まれていませんが、鈴木其一<
漁樵図屏風>(プライス・コレクション)も、山桜の咲く山路を下っていく若い樵夫、ということで、「樵夫」もまた、「継承と変奏」の素材なのかも。 其一は、右隻に若い樵夫、左隻には、紅葉の下、川面に釣糸を垂れる老いた漁夫を対にして描いていますが、これは、光琳<
紅白梅図屏風>(MOA美術館)の右隻に若い紅梅、左隻に白梅の老木とも重なるような? 「樵夫」が大伴黒主なら、「漁夫」は、...太公望?
<芦舟蒔絵硯箱>(〜10/26、東博)の図案も、そういった古典や芸能に取材したものかもしれない。 舟に烏帽子と鼓が登場すれば、「朝妻舟」だろうなどと思ったりした。
養源院の杉戸絵の裏へまわって、次に、宗達の金銀泥絵の下絵に、光悦の書という共同制作が並ぶ。
<四季草花下絵千載集和歌巻>(〜11/3、) 桜から始まり、藤、つつじ、萩、薄、月、蔦、千鳥?、松と続く。
<
鶴下絵三十六歌仙和歌巻>(〜11/16、2週毎に巻替、京博) 今回は、鶴の群れが、波頭の上空から舞い降りてくる場面と、再び、飛び立っていく場面。
いつであったか、私は母とともに宇治に出かけての帰り、とある沼にさしかかると、突然、数百羽の鶴が夕日にむかって舞いたつのを見たことがある。その夥しい羽音は空をみたし、沼のほとりの葦はいっせいに身をふるわせた。わたしはその時母に手を惹かれて歩いていたのであったが、夕日のなかに淡紅色に羽を染めて、飛びたってゆく鶴の大群を見ている母の手が、次第に強く私の小さな掌を握りしめてくるのに気がついたのだった。それは夥しい華麗なものが、あとかあとからと惜し気もなく浪費されるのにも似た恍惚とした瞬間だったが、私はその羽音があたりをみたして飛びすぎるあいだ、母の握りしめた手が細かくふるえるのを、なにかおそろしいもののように感じながら、そこにじっと立ちつくしていた。辻邦生『嵯峨野名月記』
ここで少しだけ、『嵯峨野名月記』の感想。 これは小説なので、俵屋宗達という謎の人物を、作家がどのように創造(想像?)してもかまわないと思うが、でも、わたしは、この小説を好きになれない。 宗達は法橋となった人物なのに、この小説では、終始、粗暴な言動で書き表されていて、更に、新しい図案や手法が、いつも思いつきやひらめきによってもたらされいるかのような書き方も気に入らない。 <
蓮池水禽図>(〜11/3、京博)など、中国の水墨画でよく取り上げられる題材の作品を残していることからも、中国伝来の画法についても多くを学び、その成果として、宗達流が生まれてきたのではないだろうか? それまでの日本美術になかったからと言って、決して突然変異で生まれたわけではないという思いがした。
<詩書巻>(〜11/3、大倉集古館)は、絹本に、金銀泥と淡彩による木蓮の下絵。 光悦は、行書、草書の混ぜ書きで漢詩を書いている。 絹本であることと、花のピンク色が、他の一連の下絵作品とは随分違った印象を与える。
尾形光琳(1658〜1716)・
尾形乾山(1663〜1743)
乾山<武蔵野墨田川図乱箱>(〜11/16、大和文華館) 側面に薄野で「武蔵野」、箱の内側に波頭と千鳥で「隅田川」なのか!
光琳<佐野のわたり蒔絵硯箱>(〜11/16、五島美術館) 袖で雪を払う馬上の人物という図は、新古今集の藤原定家の歌に取材した「佐野のわたり」。 ここでの流水の模様は、薄氷を浮かべてよどんでいる様か?
伝・光琳<紅白梅図屏風>(〜11/3、出光美術館) 「伝」がつくが、切箔で土坡を表現しているところに注目したい。
前回混みあっていた、乾山<色絵定家詠十二ケ月和歌花鳥図角皿>(〜11/16、)やその周辺の鉢、皿類、今回はゆっくり見られた。
酒井抱一(1761〜1829)・
鈴木其一(1796〜1858)
抱一<四季花鳥図屏風>(〜10/26、陽明文庫)が帰る前にもう一度。
抱一<八橋図屏風><燕子花図屏風>(いづれも〜11/16、出光美術館)が加わった。
「風神雷神図」ばかり並べないで、抱一<
夏秋草図屏風>(〜11/16、東博)
と、光琳<
風神雷神図屏風>(〜11/16、東博)を並べるという企画もやってほしいと思う。
其一<秋草・月に波図屏風>(〜11/16、)の前で立ち止まっている人も少なかった。
抱一<白蓮図>(〜10/26、)と宗達<
蓮池水禽図>(〜11/3、京博)も並べて見たかった。
抱一<新撰六歌仙・四季草花図屏風>(〜10/26、) 金地のベタッとした画面の中で、左隻の長く枝垂れる葛の曲線と、和歌色紙の書かれた文字の曲線が美しい。
抱一<松風村雨図>(〜10/26、細見美術館) 二人の頭上にある、ベレー帽のような、天使の環のようなものは何?
抱一<四季花鳥図巻>(〜11/16、東博) 画面の上から枝垂れてきて咲く紅白の萩から始まる。 巻末のほう、紅葉した蔦とその隣に茶色くなった柏の葉があるのだが、同じ赤、同じ茶色を濃淡、色調を変えて描いているところがきれい。 この辺りから、胡粉の雪の飛沫が見えてきて、梅の枝に積もる雪へとつながる。
其一<寿老・大黒・恵比寿図>(〜10/26、)は、倣応挙。
ショップは相変わらず混んでいるが、近づかないほうが良い。見ると買ってしまうから。特に、其一の掛幅の複製品とか、あぶない、あぶない。
参照サイト
東京国立博物館 東京国立博物館ニュース
メモ: 最寄り駅 JR上野駅公園口、JR鶯谷駅、メトロ銀座線上野駅7番出口、9番出口
料金 1,500円
滞在時間 約2時間20分
(追記)
光悦<樵夫蒔絵硯箱>と其一<漁樵図屏風>について、
玉蟲敏子『もっと知りたい酒井抱一 生涯と作品』(東京美術、2008)に掲載されていました。 また、
東京国立博物館・日本経済新聞社『プライスコレクション 若冲と江戸絵画』(2006年展覧会図録)の作品解説では、
「樵の姿は、光悦の<樵夫蒔絵硯箱>から抜き出し、漁夫の姿は、光琳画の<呂尚垂釣図屏風>に登場する太公望と重なる。」(東京国立博物館・松嶋雅人)
とありました。

0