渋谷区松濤美術館で、「Great Ukiyoe Masters/春信、歌麿、北斎、広重 −ミネアポリス美術館秘蔵コレクションより−」を見てきました。 なによりも、鈴木春信の錦絵が多数(前期18点、後期18点)展示されている、という情報に動かされました。 これが「春信抜き」だったら、渋谷まで行かないよ。
本文中、作品名にリンクが設定してあるものは、クリックするとミネアポリス美術館の作品詳細ページ(英文)で画像を見ることができます。
会場へ入ると、鳥居清信、奥村政信らの作品から展示してあります。 どうやら、制作年代順のようです。
二代鳥居清倍 (きよます)「
七小町の六 あふむ小町」(「あふむ」は、「おうむ」と読む)
人物や背景の描き方は、平安朝の絵巻物風なのですが、美人で名高い小野小町が、ただの老婆に描かれているのが、衝撃的。
奥村政信 「
浮世あふむ小町」
題材は、先の清倍のものと同じですが、小町が、老婆ではない! 小町の着衣に「花」「ふる」「我身」などの文字が読めます。
石川豊信 「
三幅対 大阪 左」
文を読む花魁(おいらん)の衿に千鳥、着物全体に白梅?の文様、禿(かむろ)の着物の蝶の柄が面白い。
鈴木春信
「
見立(みたて)玄宗皇帝と楊貴妃」
若い男女が横笛を吹く、といっても、一本の横笛に、女が吹き口と左手を構え、男が右手を添えるという図。 玄宗皇帝と楊貴妃の物語にこういう話があったんか?
見立 については、一つ前の記事を参照されたし。
「
見立高砂」
高砂といえば、雛飾りにもある、松、鶴亀を背景に、白髪の爺さんと婆さんが並んで微笑んでいる図。 能の「高砂」では、老夫婦は、それぞれ、播磨国高砂の浦と摂津国住吉の浦の松の精ということになっています。 これを若い男女に換えて、しかも、体は、左右反対方向に向いていながら、双方、振り向きざまに視線を交わすという、しかもお互い手には、箒と熊手、なにやら意味深な構図。 背景の松は、襖絵のようにも見えますが、「松の廊下」じゃないでしょ? 男の衣には、「明和二乙酉」とか、「十」「五」などの漢数字があり、
絵暦 であったことがわかります。
「
見立小野道風」
花札の11月の絵にもある、傘をさした人物が、柳に飛びつこうとしている蛙に見入っている図。 これも若い娘になっちゃって、蛙もぽっちゃりしてます。 一つ前の記事に部分を掲載。
「
座鋪(ざしき)八景 塗桶の暮雪」
題名に「暮雪」とあるから、雪景色かと思えばさにあらず。 釣鐘型の塗桶に真綿をかぶせて乾かしている図という。 ここでは綿の絵に着色されていないかわりに、
きめ出し という技法を使用。 版木の凹面に紙を押し当てて、紙に凸面を作る方法ですが、丈夫な和紙ならではの技法です。
「
見立牧童」
牧童というと、中国の絵にある、水牛の背に乗った少年が家路につくところとか、笛を吹いている、あの絵でしょうか? こちらも、牛と娘ですが、牛が背負った篭には、あふれるほどの恋文(?)が、そして、娘は、箒で地面に落ちてる恋文を掃き集めているようだし、...
「
薫衣香」
床の間に菊が生けてあるので、秋の衣更えで、香を焚いているところでしょうか。
「
三味線を弾く男女」
あれっ? 先ほどの「見立玄宗皇帝と楊貴妃」みたいに、一棹の三味線を一組の男女が弾く図。 背景には、水流と杜若(かきつばた)。
「
三十六歌仙 紀友則」
紀友則の「夕されば 佐保の川原の河ぎりに...」を題材にした、この絵は
きめ出し の使い方が秀逸! 雪下駄の歯が雪に埋もれているところとか、右端の柴垣が雪に埋まり、上には雪が積もっているようすが、見事。 これは印刷では分からないわ。 「三十六歌仙」は、藤原公任が選んだ、優れた歌人三十六人の総称。
「
風流諷八景 松風の秋月」
これと同じ構図の絵、どこかでみたことあるなぁ...と思ったら、手持ちの玉蟲敏子著「酒井抱一」(新潮日本美術文庫18)に載っていました。 その記述によれば、須磨に流された在原行平に恋心を抱いた海人乙女の松風、村雨姉妹が、烏帽子と狩衣を形見に置いて去っていった行平の面影と、叶わなかった恋を思って舞う図 ということになりそう。 謡曲「松風」を題材にしている。
「
船に乗り込む芸者」
えいやっ、と乗り込む芸者の裾と袖のふわりと舞い上がる様と、先客の女の何か言いたそうな表情がイイ味だしてます。 (おや、お姐さん、随分とお急ぎのようだが、駆け込み乗船はあぶないよ。)
「
花見の駕籠」
桜の花びらが
きめ出し で処理されています。
「
風俗四季可仙 仲秋」(可の文字は「歌」の左側、可を重ねた字)
赤い萩の花が咲き乱れる中、縁台に女二人。 一方の女の着物の柄は、紅葉。 香を焚いているようです。 空には満月。 「秋萩の花野の露にかけとめて 月もうつろふ色やそふらん」
「
見立琴高仙人」
あら〜、これは鯉に乗った中国の仙人...ではなくて、遊女が乗っています。 しかも恋文と思しき巻紙をじっと見つめています。
鈴木春信 後期展示作品
「見立佐野の渡り」
「見立孟宗」
「採蓮美人」
「見立太田道灌」
「座鋪八景 行燈の夕照」
「座鋪八景 扇の晴嵐」
「蚊帳の美人」
「五常 禮」
「朝妻船」
「三十六歌仙 小野小町」
「三十六歌仙 源重之」
「見立羅生門」
「船から下りる芸者」
「鶏と恋人たち」
「桜下の駒」
「見立鉢の木」
「身支度」
「鷹匠」
鳥居清長
「
六郷の渡し」
これは美麗品です! 2枚続きですが、B4版タテ2枚くらいでしょうか。 1枚ずつ分割しても、人物が切れないような構図になっています。
「
三囲(みめぐり)神社の夕立」
3枚続き。 夕立にあって、慌てる人、軒下で途方にくれる人、それぞれに別々の動き、表情を描き分けているところ、遠景の土手を走っていく人の姿など細かいところを描くことで現実感が出ているのに対して、雲の上では雷さまがくつろいでいるという漫画ちっくなパロディとの組み合わせ、このギャップが笑わせます。
鳥居清長 後期展示作品
「四條河原夕涼躰」
「杜若の咲く池」
「碁太平記白石噺 常悦やしきの段」
「雪持竹振袖源氏 祇園回廊の幕」
喜多川歌麿
「
『画本虫撰』より ジャ とかけ」(ジャの文字は、池の字のさんずいを虫へんにした字)
つゆ草と蛇ととかげ 爬虫類の鱗の輪郭線と中間色の色分け、重なり合った植物の葉脈など、神経質なほど細部にこだわっている図。
「
難波屋おきた」
この作品だけではありませんが、歌麿の描く女性の髪の生え際や眉の美しい極細の線は神技(かみわざ)! 彫り師と摺り師が優秀な職人だったってことかな?
喜多川歌麿 後期展示作品
「『百千鳥狂歌合』より 鴨 翡翠」
「婦人相學十躰 浮気之相」
「扇屋内 花扇」
「南國美人合」
「天狗面」
「高名美人六家撰 富本豊雛」
「寄農婦恋」
「青楼六家選 大文字屋 一茂登」
鳥文斎栄之
「
風流略六可仙 其二 文屋康秀」(可の文字は「歌」の左側、可を重ねた字)
紀貫之が記した「古今集仮名序」に挙げられている六名の歌人を六歌仙といい、文屋康秀の和歌は、「吹くからに秋の草木のしをるれば むべ山風を嵐といふらむ」
「
青楼美人六花仙 角玉屋 小紫」
前帯は遊女。 ほつれ髪が描かれていたのは、ここまででは、歌麿「台所」くらいではないか? 着物の輪郭線に筆で書いたような太さと勢いがあるところは、懐月堂を思い出しました。
鳥文斎栄之 後期展示作品
「風流略六藝 和可」(可の文字は「歌」の左側、可を重ねた字)
「略六花撰 小野小町」
歌川国貞 「
紙半纏をつくる七代市川団十郎」
真剣な眼差しがよけい滑稽に見えます。
葛飾北斎
「
大原女」
北斎は、活動期間が長かっただけに、風景画と漫画だけでなく、いろんな絵を描いていたということですが、このような<歌麿>似の美人画も描いていたとは気づきませんでした。
「
諸國瀧廻り 下野 黒髪山 きりふりの滝」
深い藍色と白で描かれた水流は見事。 でも、個人的には、ちょっと不気味というか、感覚的に受けつけない要素なんですよ、こういう、どろどろ〜とした感じネ、あと、伊藤若冲が描く、樹木に積もる雪とかも、好きじゃない。 流水や雪ではなく、デザイン・模様と思えば、そうでもないんですけどね。
「
芙蓉に雀」「
紫陽花に燕」
風景画とは、かなり雰囲気の異なる花鳥画。 配色と輪郭線の太さが異なるからでしょうか? 輪郭線が、ギザギザ、ザラザラした感じがします。 それにしても、雀も燕も垂直降下しているのはなぜ?
歌川広重
「
木曽海道六拾九次之内 三拾九 上ケ松」
北斎の「きりふりの滝」と異なり白から藍へグラデーションが使われています。 滝のしぶきは、摺り上がった後に、胡粉を撒いたのでしょうか。
展示会場が、明るいので、例えば、東京国立博物館の暗い浮世絵コーナーで同じものを見たことがあったとしても、摺りの状態が同じ程度であったとしても、違って見えるんじゃないだろうか? こんなに明るくても、ミネアポリス美術館はOK出したのか? しかも、まだ国内を巡回するのに大丈夫か?
参照サイト
松濤美術館
Ukiyo-e - The Art of Asia - Explore the Collection ミネアポリス美術館(英文)
メモ: 最寄り駅 JR・メトロ渋谷駅(半蔵門線3a出口)、京王井の頭線神泉駅
料金 300円
滞在時間 11:40〜13:30
後期展の記事は、
11月17日。

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