小川 洋子さんの『ブラフマンの埋葬』(2004年刊)を読んだ。
Amazon.co.jp: ブラフマンの埋葬/小川 洋子
「ブラフマン」は、たぶん、カワウソのような小動物らしい。 しっぽが長くて、上手に泳ぐんだ。
「ブラフマン」は夏の初めに、住み込みの管理人をしている「僕」の前に現われ、「僕」の部屋に寝起きすることになる。 そして、その夏の終わりに「ブラフマン」は息を引取る。
こう書くと、「僕」と「ブラフマン」がひと夏のあいだに作り上げた友情(?)や思い出がいとおしく、切なく思えてくるのが、常だが、...
「僕はいつでも自分の立場をわきまえていた。自分は世話をする人間で、一番の役目は邪魔をしないことだと心得ていた。」(p.84)
何か妙に冷めた感じで、人と深く交流することを避けているような「僕」の本心がどうなのか、気になります。 野生動物の「ブラフマン」といつまでもいっしょにいられるわけないのに、いつまでも一緒にいたいと思い続けている様が現実逃避しているように見えてならない。 いや、与えられた仕事はきちんとこなすのだから、夢想家というべきかな。
「ブラフマン」の言いたいことがわかると思っているのも「僕」の想像の産物に過ぎないじゃないか。 「ブラフマン」に会うまで、一緒にいたい、いつまでも話したい、と思える相手がいなかったのだろう。 「ブラフマン」はそのことに気づかせてくれて、夏の終わりとともにいなくなった。
埋葬の日、「僕」は、「ブラフマン」の石棺の蓋を閉じる前に、
「毎晩ベッドでそうしたように、淋しがらなくてもいい、僕はちゃんとここにいるから、という合図を送る。」(p.146)
ここは、「ブラフマン」から「僕」への「合図」と読み換えてもいいんじゃないのかな。 「ブラフマン」のいた夏はもう、かえって来ないけれど、「ブラフマン」がいた夏の思い出は、「僕」の心のなかにちゃんと残っていることだろう。 「ブラフマン」と同じくらい、一緒にいたい、いつまでも話していたいと思える相手に出会うまで。

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