2020/8/27

今も昔も分からない  

ムシバム初登場(多分)。玄関脇。
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カリオストロ家に代々伝わるゴート靴べら。

……なんか、無駄に意匠があったよね。少し昔のものって。
(骨董的価値が生じるより後の時代のもので、骨董風にみせかけたものが多い気がする。ウォーホル的なデザイン以降、デザイン全体がそういう「意匠」から離れるというか)。

この靴べらに骨董的価値がある(前世紀の)ものなのか、それほどでもないのか、絶妙に分からないな。
ヴィクトリア朝時代の映画とかみてて、靴べら使う場面とか、あまりみたことないが。

山でも靴べら使ったことない。


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その左下に、これはなんだろう。蜘蛛に捕らわれた虫の残骸?
これもなんにも分からない。

安定の、なんにも分からないブログだ。










※ゾクホウ※
長嶋有第17作品集『今も未来も変わらない』9月下旬刊行予定。

装丁の佐々木暁さんが、打ち合わせ前に五分で作った装丁案、その3!
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五分で作りました。


もともとの、婦人公論連載時の題名が『歌を友に/レジャーをともに』だった。

「文学的でない」事項「だけ」で小説を書くシリーズです。


そんなシリーズあるのか、とお思いの方もいるでしょうが、『ねたあとに』の「ただ遊んでるとき」や、『もう生まれたくない』のゴシップ(的訃報)に思いを致す時間など「だけ」で書くシリーズ。「だけ」がポイント。徹底させる。

ゴシップや遊びは、文学の俎上に載らない。ゴシップ的な興味は特に、反文学的なものと思われている。ワイドショーなんかみてないで本読め、という考え方がある。
ワイドショーに興味をもつ気持ちは文学にならないか。

(それでも『もう生まれたくない』は「訃報=死」中心になって、つまりブンガクに寄ってしまってはいる。当初は離婚とか失言なども織り交ぜる構想だった)。


人がレジャーやカラオケしてるときの思考も、文学にきちんと描かれない。そこ「だけ」で書こうというコンセプトが連載時の題名に出ていて、この表紙案は素直に汲んでくれたものです。
(やはり、構想ほどレジャーを描けなかったのが、題名変更の一つの理由。もっとこう「いちご狩り」とか「川下り」とか、心無い取材をしてみたかった)。
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