2020/9/11

謎の拍手  

※訂正※ 昨日のムシバムの、人形テルレスくんの作者を間違えてました。正しくは山本じんさんでした(本記事も訂正しています)。失礼しました!

拍手コメントで教えてくれた人ありがとう(ヤスローでないとしたら、なんで分かったんだ)。


地味な二枚を。
クリックすると元のサイズで表示します
焚き口のあたりの蝉の抜け殻。(影で)強い日差しを感じさせるのが珍しい一枚。


クリックすると元のサイズで表示します
ガスコンロのフード脇の蛾。垂直を示す目印みたいだ。
窓の位置からして、天井の異様な高さが分かる構図もお楽しみください。












※ゾクホウ※
もはやなんの「ゾク」報をするのか分からなくなってきた。
えーと、まずは、加筆の話の続き。

婦人公論は連載小説のページ、行組がかっちりと決まっている。そういう制約のある小説の連載はこれまで「エロマンガ島の三人」と「ねたあとに」しかやってこなかった。

でも、前者は三回で終わったし、後者は逆に二百回ものコマ切れ、日刊連載だったので、やりにくさを考える暇がなかった(関係ないが、連載中に新聞の活字がでかくなり、行組が変わったのだった。でも「やりにくさ」など覚えてない。行組の変更された日に、登場人物に「なんか家、狭くない?」と言わせようかと思ったりしたが、これは果たせなかった)。

どうも僕は、一回書き終えたものを見直すとき、盛り付けて増やす書き方のタイプらしい。
たくさん書いて、次に見直すときは推敲して減らすタイプでなく。
(そんなふうにタイプが分かれるものなのか、作家同士でも案外、話し合ったことはないのだが)。

「こんな感じのこと書こうっと」と、ひとまずおしまいまで書く。
そうすると、「あ、ああいうことも書こう」と書き終えたあとで思う。
逆はあまりない。「あれはいらんかったから削ろう」は。

なので、初校のゲラで加筆して、肉付けすることが多いのだった。
で、も。婦人公論はそれができない。
むしろ「必要と思って書いたのに、泣く泣く削る」ことが何度もあった。うーんそうか、と媒体の差を思い知り、勉強になった。
(一回の枚数が単純に短かったので、リズムにのるのに時間がかかった)。

なので、今回は「タンカ」をまるまる一章段書く(書いてないけど)とかでなく、単行本化では、各話の節々を、うーんと体を伸ばすような、ちょこまかとした加筆に満ちてます。

連載時の題名が「歌を友に/レジャーをともに」で、歌=カラオケがモチーフになっているので、歌詞の引用が多いのも、行数がきつくなる一因だった。
その際、歌の引用を短くしてやりくりしたりしたのを「歌、もう少し聞かせようや」と二行にするとか、そういう「加筆」もある。
連載と読み比べてもらえると、いつも以上に面白みがあるんじゃないか。


装丁の「なんでこんなことになったかというと」は次回。
7



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ