2020/8/31

コバム  

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元祖天才バカボンをみる三歳になった娘、を紙袋の上でみつめる虻。
(虻ではなく娘が)持ってるのは子供用の便座。
トイレトレーニングほとんどできてません。










※ゾクホウ?※
長嶋有第8長編『今も未来も変わらない』中央公論新社より9月下旬発売予定。



と、今作を「第8長編」として紹介しているが、自作における「長編」の定義が、自分でもだんだん分からなくなってきた。

ミュージシャンの履歴でも、「このミニアルバムは正式なアルバムとカウントするのか」とか「ベスト盤はどうする」とか、悩んだりするだろう。

読者諸兄で、そういうことを気にするナガシマニアがいるか分からないが、自分が一番自分のマニアなので、ここらで整理しておきたい。

まず『パラレル』『ぼくは落ち着きがない』『ねたあとに』『問いのない答え』『愛のようだ』『三の隣は五号室』『もう生まれたくない』の七作がこれまでの「長編」(のつもり)。

『祝福』『私に付け足されるもの』が「短編集」。

『猛スピードで母は』『タンノイのエジンバラ』『泣かない女はいない』『エロマンガ島の三人』は、複数の異なる作品収録で、短編と呼ぶには長い(原稿用紙80枚以上くらいの)作品も含んでいるので、なんだろう、「作品集」。

そして『ジャージの二人』『夕子ちゃんの近道』『佐渡の三人』の三作は、一冊を通して一つの筋だが「長編」としていない。
一応、独立した作品としても各編を読めるこれらは「連作集」というつもり。
……「ジャージの三人」とか「旅人」とか、独立して読めるかなあ、と思わないでもないが。


もう一つ。各話ごと独立していても「定期連載」作品は長編、不定期連載は連作集というつもりでもいた。
……だが『問いのない答え』は不定期連載なのに「長編」だ。

不定期連載はなるべく、独立した作品としても読めるようにという意識でいたのを、このころから諦めたのだな(でも、これの最初の四話くらいと『ぼくは落ち着きがない』や『三の隣は五号室』のいくつかは、独立して読めなくもない、とも思う)。


また『愛のようだ』は二百枚くらいで、「長」編か? と思う。『夕子ちゃんの近道』の方が長い。

(そもそも海外文学なんかの尺の基準からすれば、上の写真左の赤い表紙の一群『人間喜劇(バルザック)』とかが「長編」。短くても『罪と罰』くらいはないと長編と呼ばない気がする。してみると長嶋作品に「長編」なんて一つもないということになろう。ギリギリ『ねたあとに』か)。

かつては版元が「長編」と呼びたい、というのもあったが、最近はあまりオビにも銘打たない。逆に「長いと売れない」とか言われる。『愛のようだ』も『もう生まれたくない』もオビには長編と銘打ってない)。
なので「第8長編!」とか力んでみても誰も別に沸いてない感じもある。

……聖飢魔IIは自身のアルバムを、アルバムでなく「大教典」と呼んでいて「3rdアルバム発売」とかでなく「第3大教典発布」とかいう。

それが無駄な迫力で、自分にも受け継がれているのかもしれない。


まあ、いいや。
なんでもとにかく楽しんでください。

定期連載で、原稿用紙三百枚以上の『今も未来も変わらない』は「長編」ってことで一つよろしくお願いします。発布!
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