2011/9/26

【虫写真やや注意】そのためだけのそれ  

クリックすると元のサイズで表示します
トイレの窓脇に小さな棚があり、牛乳瓶がある。

数年前のムシバムで瓶に飾ってあった草花にハサミムシが、ハサミムシらしからぬ体でとまった写真をあげた。
(「*年のムシバムっスよね!」と、熱心な読者が教えてくれるのをまだ夢想)。

(関係ないが、僕は、「山の家に草花を飾る」ということに思い入れがまるでない。都心で暮らす人が、花屋で買ってきた花を飾るのより、もっと分からない。そこらに生えてるなら生えてるのをみればいいのに、と思っているので、ムシバムをさらに何十年もやったら、そのうちここから牛乳瓶がなくなるだろう)。

今回みてほしいのは、もちろん窓の外の蛾だけど、その次にみてほしいのは、そばにあるドライバーだ。
これは牛乳瓶と異なり、多分ずっと「ある」だろう。飾るものでもないのにだ。

このドライバーがなぜ「ここ」に「ある」のかというと、ウォシュレットをつないだ水道管をかしめている輪っかを外すためのものだ。
(「汲み取り」なのにウォシュレットなのである。増築時、そこは奢ったところ)

クリックすると元のサイズで表示します
このプラスチックみたいな「かしめ」を取るのに、ドライバー状の平たい棒が必要なのだった。
それ以外では、ドライバーは使わない。
だったら、使うときだけ取り出して、あとしまっておけばいい。

のだが。
なにしろ柱時計のねじを巻くため「だけ」に、「そこ」に脚立が「ある」家だ。

水道管をかしめている輪っかを外す「必要」は、年に二度しかない。
来たときと、帰るときだ。

だが、逆にいえば「絶対に」二度「ある」行いだ。
取り外し忘れると結露で管かタンクが破裂して「決定的に」壊れてしまう。

本来ドライバーや脚立は「汎用性のある」道具だが、「一種類に」使って悪いという法はない。

しかも使うときが「絶対に」あるのならば、「あれ、どこにしまったけドライバー?」などという、爪切りや鋏のようなイライラを生じさせる「必要がない」。

だから、ドライバーは「そこ」に「それ」用としてあるのだ。

それは、傍目には「横着」の具現かもしれない。

でも、もし、突発的に、なにか壊れた機械の裏蓋を開けなければいけなくなったとして、ああいうサイズのドライバーが必要だ、となったとき。

我々は「トイレの牛乳瓶の棚」から、「それ」を持ってきて、用事をなしおえ、
ちゃんと(*ちゃんと、に傍点!)「元の場所に」「片付ける」だろう!横着でなく。

最初から「そこにそれ用にある道具」というのも世にはたくさんある。風呂のかきまぜ棒とか、コンビーフの缶切りとかだ。

だが、それ専用ではないドライバーや脚立が、その場所や用にあわせて、そう「あっても」「いい」だろう、というヤスロー哲学を今回は語ってみたかった。

つまり「横着!」という考えには反駁したいし、さりとて「(考えが地味すぎて)気付かれずスルー」されることにも、「むしろここみてみて!」と言いたかった。


さて、今年のムシバムも終盤戦。まとめに入る頃合いです。

もともと「ムシバム」は俳句ページのコンテンツだったこともあり、終わり頃には俳句をよんでいたのだが、だんだんダレてきていた。
おととしあたりはなんと0句!で、去年すこし盛り返して3句だったか(ここで熱心なムシバム読者が……)。

だが今年は十句!
去年より更新数もなんとか上回り、十年前につないだ感あり!

その十句はしかも初めて、紙面掲載されます!


ユリイカ10月号俳句特集に連作「森の中の室内」掲載。
虫俳句といえば有名なあの鬼城の本句取りまでやってるぞ。
全ムシバミストはマストバイだ!
6



teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ