『なめとこ山の熊』の最後の部分−
雪の山で命を渡したなめとこ山の熊撃ち淵沢小十郎は、氷のように光る雪の中、まるで小十郎のために祈っているかのような熊たちに囲まれる。
そのあと、小十郎の死骸は家に戻ったんだろうか。
そして小十郎の良き相棒だった、黄色い犬は?
何度も『なめとこ山の熊』をかたってきたけれど、物語のその後に思いを馳せたことはなかった。けれどこの絵をみたとたんに、その後のなめとこ山の熊の物語が、頭の中からどっとわき出してきた。
このチラシに使われた版画は、前回のイーハトーブ・プロジェクトin京都と同じく、埼玉在住の鈴木広美画伯の作品です
http://www.nexyzbb.ne.jp/~k_ghk/。
そして前回と同様、賢治の物語を意識して描かれた作品でないにもかかわらず、物語と共通した世界を思わせ、そしてさらに物語に新しい、大きなイメージを与えてくれます。
それはもちろん、この絵を選んだ主催の浜垣誠司さんのセンスの良さのおかげでもあるのですが。
やっぱりたしかにあの犬は生きて、小十郎の年老いた母と、五人の孫の住む家へ戻ったんだな。そして毎日、主人の死んだ山の方を星と一緒に見ているんだな。
それから小十郎の母は、子どもたちは、そのあとなめとこ山の熊たちは・・・・・・
どんどんどんどん、物語の彼方に思いが広がっていきます。
自分もこの絵のように、ものがたることができたらいいなと思います。
さて、昨日の続き。
その前の週はだいぶ暖かくなり、もうそろそろ春の兆しかと思われましたが、週末はまた気温が下がり、特に日曜日はふるえ上がるほどの寒さ。友枝さんの車に乗ってすぐ、ちらちら雪が舞いはじめました。
もちろんこの季節の雪ですからつもるほどではないし、降り出してはやみ、ちらほらしては消えるという感じでした。
もう目の前の坂を下りて、もひとつ坂を登ればお宅に着くと云うとき、少し変な感じがしました。道ばたの木の向こう側五十メートル、坂下の田んぼの上が、真っ白くかすんでそこから先が見えなくなっています。
「あ、雪だ」
たしかに向こうは降りしきる雪。
けれども今自分たちの上には雪はおろか雨も降っていません。
舞台の上に降りしきる切り紙の雪を、客席から見つめているようです。
分厚い雪のカーテンでした。
友枝さんもそれに気づいて坂の途中で車を止めました。
「これは初めてですねー」とひと言。
僕たちは、雪のさかいめを見ていました、
雨のさかいめは、雨が透明だからはっきり目には見えないけれど、雪のさかいめはそれがまっしろなために、カーテンを引いたようにはっきりと目に見えるのです。
しばらく二人で、黙ってその景色をながめていました。
やがてまっ白な雪のカーテンは、音もなく田んぼを越え坂をのぼり、僕たちの車をのみ込んで、雪のさかいめは見えなくなりました。
長く雪の多い土地にお住まいの友枝さんが、見るのは初めてだとおっしゃるのだから、ほとんど雪の降らない街中に住む僕にとっては、とてもとても貴重な体験だったに違いありません。心密かな感激と興奮とを抱いて、友枝さんのお宅に到着したのでした。
ここでもう一度、チラシの絵をご覧下さい。
木の横にじっと座ってずっと向こうの山の端を見つめる犬の視線の先の空には、何か白いものが。そしてその後には星の連なりが輝いています。
あの体験をした後から、僕にはこの白いものが、あの雪のカーテンに思えて仕方ないのです。
ゆっくりと、しずしずと、山から下りてきた雪が、この木や犬や、その後にある小十郎の家族が住む家をおおいつくして、小十郎が死んでから何度目かの冬がやってくるのではないかと。
この写真は、六年前の年末に、友枝さんのお宅に伺ったときのもの。
現在は、もう雪は積もっていません。
そう云えば、猪鍋をいただきながらのおしゃべりの中で、われわれ二人の初共演は一体いつだったかといことに話がおよび、そのとき自分のホームページで調べてみたところ、2002年の3月8日でした。すなわちこの三月で二人の初共演から丸十年となる偶然。
そして初演の演目は『私家版・宮澤賢治幻想旅行記第三章』
−降りしきる雪の彼方に−であったのでした。
おお、なんと良くできたお話。
どっとはらい。
「第三回イーハトーブ・プロジェクトin京都」まで、あと三日なり。

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