芸術家についての史学の書籍を読むと、必ず共感する部分がある。
悲しいことに覚えたその共感は余り嬉しくなかったりする。
彼らの多くには妻、ではなく伴侶、が自宅におり、少なからず愛人『たち』、に対して情熱を注いでいたりする。
感性と感覚で出来た人間には自信と情熱があるけれど、それだけに脆く、支えが必要ということか。
手が休まらない。
心休まらない。
だから恋をして癒やしを得る。
そして恋の情熱をエネルギーに変えて、また手を動かし、研ぎ澄まされてゆく。
そんな人を愛した女性。
真剣になって何もかもを彼、に注ぎいつの間にか心壊す。
人生のうちの30年間を精神疾患に犯されて幕を閉じる。ラブレターを書いて。
伴侶は生活の柱。愛の対象なのか。
愛人は心の柱。愛の対象だ。
私が悲しくも共感してしまった部分など信じたくもない。
恋しか出来ない人。
愛しか出来ない人。
後者の方が幸せなんだ。
しかし、両者とも自ら、という点では苦悩に苛まれても幸せ。
何よりも情熱を注ぐ対象が芸術である点が素晴らしく幸せなんだ。
おそらくは。

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