今朝(16日付け)の朝日新聞を開いて驚いた。朝刊に、「連絡求ム ホームレス歌人さん」と題する記事が掲載されていた。それは、ボクが既に1月27日に「ホームレスのうた」と名付けて書いた記事で注目した「朝日歌壇」にこのところ毎週のように掲載されている「(ホームレス)公田耕一さん」に当の朝日新聞が一般記事として注目した初めての記事だったからだ(ボクの記事→
http://moon.ap.teacup.com/kyoque/797.html)。
朝日新聞の記事では、「返歌」(という言葉は使っていないが)や、励ましの声が届いており、それらの好意は(ホームレス)では届けられないから(それに入選1首につき官製ハガキが10枚もらえるそうだ。その「投稿謝礼」も宙に浮いていると書いてある)、どうにか連絡がつかないものかと「朝日歌壇」の掲載される月曜日朝刊に合わせて(ホームレス)公田耕一さん個人に向けて発せられたような記事に一見みえる。
記事は河合真帆というおそらく女性記者の署名記事だ。新聞は「公器」という記者の常識からするときわめて異例な記事でもある。掲載面は30頁めの社会面。すぐ上には「雇用ショック/派遣村・その後(下)」という連載コラムがある。
さて、これが鵜の目鷹の目で話題や、材料を探し回っているハゲタカのようなマスコミがどう捉えるのか注目したいし、また、(ホームレス)公田耕一さんがこれにどう答えるのか注視したい。少なくとも彼はこの記事を目にしていたのなら今日一日は高揚して、心臓が早鐘をうつような状態だったに違いない、と推測する。
この事態にボクは、あえて期待したい。(ホームレス)公田耕一さんが「歌」で応えることを!
*なおこの機会に、前回(1月27日)のボクの記事の中の間違いを訂正しておく。ボクは見逃していたが、(ホームレス)公田耕一さんの初入選は12月8日付け「朝日歌壇」で
(柔らかい時計)を持ちて炊き出しのカレーの列に二時間並ぶ
という歌だったそうだ。そう言えば、この歌は読んでいました。さらに、12月22日に
鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ捨てたのか
1月5日に
パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる
という歌で入選している。
ボクが紹介記事をアップした次の週(2月2日付け)には
一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る
が入選していたし、当の今日の朝刊の「朝日歌壇」には
哀しきは寿町と言ふ地名長者町さへ隣りにはあり
という横浜寿町のおそらくドヤにいることを推測させるような歌が掲載されていた。
少なくとも(ホームレス)公田耕一さんの歌は、新世代歌人と言われているフワフワした日常会話のような若い世代の歌人の歌よりボクにはしっくりくるし、現代の「貧窮問答歌」(山上憶良)ではないかと思っている。

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