それは2007年と2008年をまたぐ経年プライベートなイベントだった。それでも、見届けたのはボクを含めて6人。ボクがそこに着いた時、この館(と言ってもマンションの一室)の主は踊っていた。
主の名は成瀬信彦、そう、この頃色々からむことの多い舞踏家名、舞踏歌である。
この日は、無音であった。緊張した時間が流れている。で、舞踏が終わり作務衣に着替えた舞踏歌と飲食が始まる。で、ボクがポエトリーをやることになった。
2007年おおつごもり(大晦日)のその演目は、ぜひとも再演したかった(E.G.P.P.100での)12月のテーマ「少年ダダ/中原中也」だった。その前日だかに見たETVの「中原中也」が、あまりにも福島泰樹らの中也研究の書物を通り一遍になぞっただけで、それを町田康が、わがことの発見のように中也にまつわる場所を経巡って語るという番組で、見ながらボクは腹をたてていた。
書物のそのままの再現で特別番組がつくれるものなら、ドラマにあるような原作料を払い、しかるべきクレジットを入れるべきではないだろうか?
もっとも、番組にも見るべきシーンはあった。2007年に各地で行われた「中原中也生誕100年」の関連イベントが、短い時間にせよ紹介放映されたからだ。特筆すべき催しだったものとして、シャンソン歌手如月伶生の「シャンソン中原中也の世界」をあげておこう。これは、ライブをボクも見たかった。如月伶生は中性的な美しさを持つシャンソン歌手である。
そして、年が明け、近所の「北野天神」に奉納および、初詣に出かけることになった。成瀬はふたたび、コノハナサクヤヒメのような扮装をまとい、境内で舞いはじめる。境内では年越しの焚き火がたかれ、舞台ではお囃子もやっている。そのお囃子にのせるかのように、ボクもポエトリーを即興で叫ぶ。
かくして、2008年は奉納行為で明けたのであった。
(写真3)「少年ダダ/中原中也」は生誕100年の07年の掉尾を飾るには、相応しかったかも……。周りの成瀬のオブジェも呪物玩具的な作品であった(2月2日から横浜ZAIM地下スペースで展覧会があり、ボクは仲間とともに9日に「ニクの日」と称してポエトリー・イベントを敢行します)。
写真3もカメラ:さかた。提供を感謝します!。

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