不満1。親が貧しいとサンタクロースも来ないという事実!(本来サンタクロースつまりセント・ニコラスは貧しい子どもたちに施しをした。そこから「プレゼント」の風習とおもちゃ業界、お菓子業界が「クリスマス」を仕掛けた。日本では昭和30年代ころから。)
不満2。プレゼントは「こころのこもった言葉」(メッセージ・カード)でもいいはずなのに、子供たちにとっても物質的なプレゼントがないと飢餓感を与えているということ(クリスマスくらいおもちゃを玩具会社がタダで配ると言う風習ならば賛成するかも)。
不満3。保育園や福祉施設関係のクリスマス・イベント自体が「行事」化して、イベントのためのイベントになっており、福祉にかかわる職員自体も楽しめる内容になっていないこと(ここでもイベント自体が空洞化、空虚になっている)。
不満4。この国では老人たちそして子どもたちにとっても、伝統や歴史を学ぶ行事になっていないこと(信仰の対象として教えられない以上、聖人伝説を伝えても「聖書」いまでゆきつかない)。
不満5。若い世代の恋人たちにとっても、意味があるどころか、ひとりで過ごすのはみじめだというプレッシャーになっているらしいこと(ま、クリスマスはふたりでシティ・ホテルで過ごすという幻想はおそらくバブル期が生み出したものでしょう。恋人たちにとっては、それは「東京タワー」でもいいのでしょうが……)。
結論。意味のない、業界の稼ぎどきイベントとしてはじまったクリスマス(イベントのためのイベントとしてのクリスマス)を、この国の風土にあった暦に戻すこと。
「光の生まれる日」という感覚は、かって日本人のものでもあったということ。太陰暦の「一陽来復(いちようらいふく)」という行事こそが、私たちのたましいにふれる「まつり」であるということ。
「一陽来復」を北欧の春をまつ歓びの冬至祭『ルチア祭』として、復活させること。エコロジカルに祭り直すことで、わたくしたちすべての人間にとっての希望の日、光の生まれる日となること。
『ルチア祭』を素朴に、静かにまつることは、華やかな電飾で電気を無駄使いしてる華美な消費社会の在り方をも考え直すきっかけになること。
以上、提案いたします。
(写真:TOMO)

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