20日、日曜日。代々木公園で土曜日(19日)から開催されている「アースディ東京2008」に行く。70年代に提案された「アースディ」は、国連では3月21日、アメリカで提案されたのが、提案された4月22日(本日!)を「地球の日(アースディ)」としている。デニス・ヘイズが代表のように言われている「アースディ」は、こちらの方である。アースディは、日本でもかなり早くから環境やエコロジーに関心のある個人や、市民団体で提案されて開催されていた。それは、当時の世相を反映してとても小さな規模だった。地域や反原発の集会からみの顔の見えるギャザリングだった。
原宿の駅から人があふれていた。そして、会場の代々木公園野外ステージ付近では立錐の余地がないほど人があふれている。公園通りにまでまたぎこすほど出店ブースはあり、その間を数万人の人間が右往左往してあふれかえり、トイレは数十メートルの行列、楽しいはずのスローフードやオーガニック料理の食べ物を買うにも長い行列で、少しもスローではなくイライラが募ってくる。さらに、辿り着いた出店先でもおそらくボランティアスタッフのためにデポジットのルールが徹底しておらず、マイカップ持参なのにデポジット代金を上乗せされそうになったり、マイカップ(マグカップ)なのに1杯ぶんと同じ生ビール代金を取られそうになったり、ほとんど環境を考える「フェスティバル」としては、もはや「適正規模」を越えていると思われた(フード関係「アースディ・キッチン」のそのすべてがプロレベルだとはいえ―それも、おかしいと思うが……―わずか23店舗というのは、いかにも少なすぎる!)。
おそらく、19日、20日の二日間でのべ入場者十万人に達するような規模だったと思うが、開催規模の容量を越えてしまっている。NGOや、個人ブースにまじって企業ブースがかなり多く、それぞれの活動展示等ゆっくり見ているヒマもない。おそらく、アピールする方もそうだったのではないだろうか?
環境問題や、エコロジーをテーマとするギャザリングで「大きいことはいいことだ」と言う発想は厳禁である。むしろ、自殺行為だと思われる。環境を考える楽しいはずのギャザリングが、まるで人間と言う我々自身のレミング状況を呪うような集まりになるのでは逆効果ではないだろうか?
それでも手作りのような楽しい空間はあるもので、メイン会場の道を隔てた木立の中ではサーカスのような楽しい即興の催しが行われていた。座り込んだ子どもたちの前で、確か渋さシラズの管楽器にダンサーがからんで、奇妙なパフォーマンスが繰り広げられたのだ。で、この中にビアンカがいたのかどうか確認できなかったが、ヒゲモジャのセブンが周りを囲んでいたから、おそらくいたのだろう。
ところで、女性ダンサーが傘鉾のようなものをかぶって練り歩いていたが、どうも傘鉾には異様な感慨をボクは抱いてしまうのだ。ま、それは別の所で語るとしてここで出来た輪はせいぜい30名ほどで、メイン会場からこちらへ移動したボクら(ファミリィで遊びに行ったのです)はホッとしたものだった。
いや、もはや郊外暮らしで都心に出てくることもすっかり少なくなったボクとその家族は、ひとの多さにすっかり面喰らってしまい、人間の多さに酔ってしまったのだった。
(写真1)「アースディ東京2008」の会場入り口のフラッグ。
(写真2)木立の中で行われていたパフォーマンス。
(写真3)通りを隔てた「おはなしの森」のスペースは、メイン会場と打って変わって、どこがステージなのか分からない拡散した空間なのだが、運が良ければ出会えるといった木立の中の(ここも代々木公園)ハプニング性に満ちていた。

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