数時間の仮眠で起こされ、初日の出を見る。が、アパートの屋根越しに昇る日の出のためしばらくボクらは、あらぬ方を見ていたことがわかる。陽も高くなってそのことに気付き、あらためて見上げた太陽は目を開けていられないくらい眩しかった。
ともかく、眠い目をこすりつつ帰宅。さらに、2時間仮眠して、北関東の一地方都市へ家族で出かける。
小さなさびれた街だが、ボクにも愛着のようなものがうまれつつある。第一、江戸時代くらいからその街に根をおろして住み続けてある偶然から親戚関係を結んだひとびとが住む街なのだ。
二日目。自転車を借り受けて街をめぐることに。とは言っても、この街にある文学館や、美術館は正月休みなので、結局、初詣に行くしかない。
きっとそこは長い歴史を持った村の鎮守様だったのではないか、と思わせる渡良瀬川沿いの神社へ。ここのすぐ裏手の土手に登って見る景色は雄大だ。正月休みで、風もあり晴れ渡っていたためか、日光の男体山までみえるではないか(なぜ、その山が男体山かとわかったかというと土手の上に景観標示のプレートがあるのだ)。その景観にも打たれたが、この風景も長い時間の中でひとびとが作り上げてきた治山治水がうみだしたものだという思いもボクを感動させる。村(コミュニティ)の結束と言うのも、本来は自然や天災の脅威に立ち向かうところから必然的に形作られ、けっして支配の道具としての権力からではなかったろうと考える。
またこの土手には万葉集に東歌として掲載されている歌が2首、石碑に彫られている。万葉の時代にこの河の渡しをめぐって愛をかわす相聞歌だ。その歌は切なくて砕けそうなまでの思いを今日まで伝えている。
まくらがの 許我の渡りの からかじの 音高しもな 寝なへ児ゆえに
逢はずして 行かば惜しけむ まくらがの 許我こぐ船に 君も逢はぬかも
(大意)この地の渡し舟の柄のついたカジのきしむ音が高いように寝てもいない娘とうわさが立ってしまった
(返歌大意)逢わないままにこのまま行ってしまえば残念なことだろう この地の渡し舟であなたと出逢えないものか
この大意にはあまり自信はありませんが(碑文の解説の訳もちょっと妙でした)、出会い系サイトのない万葉の時代に、河の渡し舟がとりもつ縁なんて、ロマンですなぁ!
(つづく)
(追記)
解説文にしたがって本文ではウワサと書きましたが、どうもボクは最初の歌は、
この地の渡し舟の柄のついたカジのきしみのように処女の娘との契りの時の声はけたたましかったなぁ
と現代語訳したいし、後の返歌も
ふたたび契らずに去ってしまうより、この地の渡し舟を漕ぐようにカジをとって、わたし(私)の上でまた舟を漕いで欲しかった
と訳したいと言う誘惑に勝てません(笑)。
万葉時代は性におおらかだったというのは定説らしいので、このくらい思いきっていいのではないかと……。
先の歌の訳には自信があります(笑)。
(写真4)風は強かったが、晴れ渡った正月の空。雄大な景観の彼方に日光の山々が見えた。
(写真5)村の鎮守様を思わせる小さな神社だった。それでも初詣での善男善女は列を作っている。

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