ビデオにとっていた訳でもないし、食事しながらで集中して見ていた訳でもないから、正確な再現はできないと思うが、一例であれ、このような授業が全国の小中学校で平然とおこなわれているのかと考えると、おぞけをふるわざるを得なくこの一文をしたためます。
昨夜(14日)のNHK総合『クローズアップ現代』(”愛国心”揺れる教育の現場)に登場した「愛国心教育」の授業風景(モデル授業であるようだ)――日本に特徴的なすばらしいところはどこですかと生徒に質問する。こどもたちは、あれこれと列挙する。その中から「四季があること」と答えがでる。「四季」がある日本は、雨季と乾季しかない国より豊かで、美しいですね、と言った教師の結論めいたことばでしめくくられるといったものだった。
これは「授業」なんですか? ボクにはマインドコントロールの方法と同じ、あらかじめ意図した答えに導き、生徒自身の思考の結論と思わせるテクニックだと思いました。第一、シーズンがふたつより、四つのほうが素晴らしいというのは、数の問題であってすぐれている理由に何故なるのか解せなかった。
先生は知らないのだろうか(生徒が知らないのは当然だとしても)、あの雨季が来る前のモンスーンの前触れのたおやかな風が吹いて来る胸騒ぐような地平線の光を!
椰子の葉や、棕櫚の葉の上に落ちて目にもあざやかな緑となる、あの雨の降り初めの瞬間を!
そして、篠つくような雨足となり、明るい日射しは薄暗く、道はまたたくまに河と同然となるあのアドレナリンが全開となる季節を!
ボクが脳裏に描いているのは、いまは、東南アジアであるが、それは赤道直下の南アメリカであろうが、アフリカであろうが、そこにはゆるぎない季節のドラマがあり、風土があると思う。これを、比較して優劣などたとえ文部科学省といえどもつけることはできないはずだ。
季節の感覚はきわめて文学的な感性であるはずである。五感に訴えて来る感覚だ。それを「国」まして「愛国」に結び付けようと思うことに根本的な誤謬がある。ウチの娘は一緒に見ていて「単純すぎません?」と言っていた。その通りだ! ちなみに、娘はそのような授業を受ける立場にある小学生であります。
勘ぐってみれば、四季から春そして桜に誘導したかったのかも知れない。しかし、そこまでアナクロな「愛国教育」は、まさかしないでしょうね。あまりにも、意図がみえみえですから……。
「美しい国へ」の宰相は、教育基本法の改正を今国会の最重要法案にしている。今週中の衆院の強行採決も辞さないと伝えられている。もし、上の例のような「授業」を愛国教育といい、それを押し進めるための教育基本法の改正だったら、考え直してもらいたい。
宰相も、そしてボクも戦後世代だ。だが、ボクは知っている。おそらく安倍首相も……。
この国の戦後は
国破れて 山河あり
からはじまった。ひとびとはがむしゃらに働き、生きなければならなかった。そして戦後の復興は、朝鮮戦争特需になり、高度成長になり、はては、またしても「公害」となり、今度は残った山河をも破壊しようとしてしまいました。それも豊かになるための国策でした。政策だった。
山河、郷土、里山がなくては国も国家もありえません。郷土愛――いや、いまここの愛すべき「風土・郷土・里山」を荒廃からつくるところからはじめるべきではないでしょうか?
義務教育も言ってみれば、国家がほどこす「マインド・コントロール」です。
大事なのは「キミよ!歩いて考えよ!」(11日に亡くなった宇井純さんのことば)です。
ひとりひとりが自分のアタマのバランスをとって、現場に立って、自分のコトバで考え実践することではないでしょうか?

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