エノケンが歌ったスタンダードナンバー「私の青空」の歌詞をしらべるためにググってみた。ボクがウロ覚えだった「私の青空」の歌詞はこのようなものだった。
『私の青空』
夕暮れに仰ぎ見る輝く青空
日暮れて辿るはわが家の細道
せまいながらも楽しい我家
愛の灯影のさすところ
恋しい家こそ私の青空
日暮れて辿るはわが家の細道
せまいながらも楽しい我家
愛の灯影のさすところ
恋しい家こそ私の青空
ボクが、なぜこの歌詞をホーボーや浮浪者の温かい家庭への憧れの歌だろうと、推測したかと言うとボク自身の実感(笑)もあるが、この訳詞の言葉の選択(夕暮れ、日暮れ、細道、せまい、愛の灯影、恋しい家……)そして喜劇王エノケンのイメージ、歌い方が大きいようだ。エノケンは低い聞き取りにくい声でなげやりに歌う。のちの三木鶏郎の冗談工房を先取りしたかのようなコミックソングもしくは替え歌で、原曲である洋楽を換骨奪胎してしまう。原詞は、以下のようなもので、本当にビートニックが嫌った小市民的な幸福を歌っている(笑)。
My Blue Heaven
When whippoorwills call and evening is nigh,
I hurry to my Blue Heaven.
A turn to the right, a little white light,
Will lead me to my Blue Heaven.
I'll see a smiling face, a fireplace, a cosy room,
A little nest that nestles where the roses bloom;
Just Molly and me, and baby makes three,
We're happy in my Blue Heaven.
原曲は1927年にGeorge Whitingが詞を書き、Walter Donaldsonが曲を書いた。翌年(昭和3年)に浅草のエノケン一座にいた二村定一がうたってヒット。エノケンがこの曲を吹き込んだのは、戦後だと言う。ちなみに、この二村定一は日本で最初のポピュラー歌手で、J-POPSの先駆者になるらしい。
(しかし、この訳詞をだれが書いたかは調べきれなかった。御存知の方がいればお教え下さい。)
興味あふれることに昭和3年という年は、世界大恐慌(1929年)の前年であり、時代性からいえば浮浪者や、ホーボーソングのような日本語の訳詞のほうが、時代を先取りしていたと思えることだ。
訳詞『私の青空』の方が、黄昏れているし、「暗い時代」を予感している。
アメリカにして失業率25パ−セント、1,200万人以上の失業者を生み、世界は大きく戦争(第二次世界大戦)に傾いて行ったのだった。

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