「六月のクロニクル」と題してはじまった「E.G.P.P.100/Step59」、のっけから「四人囃子」のBGMにのせてはじまりました。きっとどういうことか、分からなかったでしょう。
そして、この日は大久保「水族館」に会場を移してから、一年目。さらに、6月に誕生日を迎える三人の方の「お誕生日会」もかねてやってしまおうという欲張った主旨でした(bambiさん、おもとなほさん、そして会場でわかった「リバースクラウン」のあまのひかりさん)。
ボクが「四人囃子」にのせて最初に読んだのは、1969年6月24日に二十歳という若さでみずからの生に終止符をうったひとりの女性――高野悦子さんの日記に書かれた最後の詩でした。
そして、この日記『二十歳の原点』は、1971年に出版されてベストセラーとなり多くの70年代に青春を迎えていた若者たちに読まれました(文庫になり版を重ねているらしい)。
そして1973年には、角ゆり子主演、四人囃子音楽で映画化もされました。そう、この日のBGMはその映画に使われたアルバムだったのです。そして、この高野悦子さんの最後の詩はボクの詩への伏線となるはずでした。時間があれば……。
こうして、この日のオープンマイクは始まりました。
一番手。この日は美人受付嬢そして美人DJそしてまたバースディの主役のひとりと大忙しのbambiさん。なんと、この日はいかにして若返るかという耳をそばだてたい話からニューエィジの講話までと多様でした。
二番手、KsK(ケースケ)。本日のゲストであるおはるを見に来て、自らも初エントリーしたひと。ここに来る直前に書いた詩2編を朗読。直前に書いたとは思えないほど滅法よかった。とりわけアンビエントな音にのせて読んだ2編めがボクは気に入りました。
かけあいでやったKsKとのMCが、なんか漫才みたいで面白かった。
エントリー三番目。彼女も初のエントリー、しい子キタムーラ。彼女はよく「ベンズ」でエントリーしているひと。手話の勉強をなさっていてこの日も手話をまじえた詩を披露してくれました。
なんか面白そうなキャラだったのでインタビューしてみましたが、手話の歴史なぞを語ってくれました。
四番。リバースクラウン。最近はミュージシャンとしても開眼している明智くんが、ギターを弾きまくりました。それにしても、あまのひかりさんはいつになったら歌ってくれるのでしょうか?
五番手。初エントリー弾き語りのはりやさん。「竹田の子守唄」「自転車にのって」「生活の柄」などのカバー曲。彼は、「ゆーことぴあ」ではたまに歌っているらしい。
ここで突然、今月誕生日を迎える御三人に前に出てきてもらってバースディのお祝いをする。ボクが用意したのはバタークリームケーキ。表面にはしっかりこの日に迎えたE.G.P.P.の回数「59th」の書いております。決して誕生日の方のお年ではありません。北村イエスがハッピーバースディの歌を歌ってくれました。
ひきつづきエントリー六番。ひとり芝居のおもとなほさん。もちろん、この日の主役のひとり。「バース」というようなタイトルだとか。来月は、彼女のために本をボクが書きます(どうなることやら、ま、お楽しみに!)。
七番手のエントリー。誠子さん。初のエントリーで、時間前から到着し長らくお待たせしてしまった。勇気をふるいおこすために宮沢賢治の「雨ニモマケズ」、高村光太郎「智恵子抄」から読み出しました。ほとんど人前で読むのははじめてのようでしたが、きっと彼女の魅力を発揮してくれることでしょう。でも、落ち着いていました。美人だし……。
八番手。「水族館」では初、以前の池袋SCUM2000ではエントリーしに来てくれたゆひゃ。湯被ャは自己紹介のポエムがあるのは、相変わらずでした。韓国語でのポエムも披露。
九番。北村イエス(幸生)。このところ舞台活動もあり、乗ってるようです。お笑い系なのですが、最近のキリストならぬ「切り捨て」トークのネタはなかなかシビアで、この日はNHKもキリステの対象でした。で、またもや、ボクも割って入りました。法律で義務化しようという方針には賛成できません。
十番、エントリーのトリはボーズパンク、コボリイチエン。この日は2曲です。1曲めから弦を切りまくっています。しかし、2曲めの歌はいい歌です。
もう時間はここで22時30分をまわってました。やむなく、ボクも自作のポエムを断念しました。ゲストのおはるにたっぷり歌ってもらいたかったから……。
ゲストのおはるとジャンベの野崎雅人さんの登場です。おはるは、このE.G.P.P.のオープンマイクの雰囲気に、最初は少しとまどい気味に見えました。なにしろ「ここは個性的なひとばかり集まってますね。まるで珍獣の森に迷いこんだみたい」と言ってましたから……(むしろ、面白がってたのかな?)。
でも、ビートルズ「A Day In The Life」から歌い出すと、吉永小百合「勇気あるもの」、「五木の子守唄」、村八分の「らりるれあの娘」、デッドの曲「シュガ−・マグノリア」などなど、まるで団塊世代泣かせの選曲です(笑。もちろんオリジナルも)。bambiさんのみならず、ボクも曲をプレゼントしてもらいました。なんと、おはるはボクの母と同郷なのです。それも町まで同じだったのです(八代)。
おはるがうたった「五木の子守唄」の五木村は川辺川の上流に計画されているダムで、現在住むものも少なくなった滅び行く村なのです。日本人の原郷ともいうべき場所なので、残念です。失ったら取り返せません。日本人は自らひとつの魂の故郷を失うのです。
この日、はりやさんが歌った「竹田の子守唄」とともに「子守唄」が2曲飛び出し、「子守唄」研究家(?)のボクは奇縁を感じました。
こうして、六月上旬のひと夜は、1960年の6・15(60年安保闘争、樺美智子さんの死)、1966年の6・29(ビートルズの初来日)、1969年の6・24(高野悦子の自殺)やお誕生会や水族館一周年など多様なものをゴッタ煮にしながら、オープンマイクらしくなんのまとめもせずに(笑)暮れていくのでした。
来月は、なんと「七夕」の夜が、開催日となります。なにかサプライズがありそう?
(この日読めなかった高野悦子さんにささげるポエムは、あらためてテーマ設定させてもらいます。)

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