26日午後、天皇陛下が皇居内で恒例の稲刈りをなさった。これを、ご苦労様と受け取るキミは少し愚かだ。きっと、その後に「皇居の中に水田があったんですかぁ?」と、聞くに違いない!
しかし、愚かなキミの反応は新聞報道とたいして変わらないのだ。
「天皇陛下は26日午後、皇居内の水田で恒例の稲刈りをした。(略)秋風の吹く中、陛下は素手でかまを握り、「ニホンマサリ」(うるち米)と「マンゲツモチ」(もち米)計100株を1株ずつ丁寧に刈り取った。」(朝日新聞9月27日朝刊)
この記事で、なぜ毎年「恒例」なのか分かる人がいるだろうか?
こういうのは、事実報道ではあっても空虚な中味のない報道ではないだろうか?
天皇家は国民の税金から歳費が提供されているにもかかわらず、平成不況で生活に困窮しついに自給自足を始めたのだろうか?
たしかに、東京のど真ん中とは言え貴重な国内種の動植物の宝庫である皇居内は、その広さからいっても耕作に適しているに違いない。しかし、残念ながら自給のためではない。ただし、農法は無農薬有機農法で化学肥料は、一切お使いになっていないと信ずる。なんとなれば、その収穫された新米は「祖霊」や「神」に捧げられるものであるからである。
これは、田植えからはじまる天皇家の年中行事、「神事」なのである。
11月23日、毎年天皇家ではこの日に自ら田植え、収穫なされた新米を神に捧げ、宮中の奥深くで訪れる神(まれびと)と共食なされ、饗応なされしかるのちに神と同衾なされる。これを「新嘗祭」と言うのである。
天皇はこうして訪れる神と入れ代わり、新しい存在となる、いわば新年の「若水」と同じだ(この説明の半分は私の仮設的考えが含まれていることを申し添える)。
「新嘗(にいなめ)」は「ニフナミ」つまり「にへ」の「ものいみ」であると解いてくれたのは、歌人であり国文学の博士でもあった折口信夫である。「にへ」とは「食物」、その「物忌み」の日だというのだ。
つまり、29日の天皇の稲刈りもこういう神事の一環としてあったのだが、そのような意味と読み解けるひとは、ますます少なくなっている。
おそらく、天皇を崇拝なさる方々の中にも天皇家の神事を理解している人は少ない。事実報道としてのこの日の、朝日の記事はむしろ私たちの精神世界を貧しくしている。
こういう事実のみの報道は、中味と意味を取り落としたおそらく「天皇家」をますます謎めいたものへすることにしか加担しないだろう。
ついでにいえば、11月23日が現在「勤労感謝の日」という国民の祝日になっているこの日は、戦前から国家神道の下で重要な日付けであったことを思い起こそう。
そして、共同購入会でよくやる「収穫祭」も、つまりはこのようにカミとの共食、饗応であることを頭において、この秋はイモもゴハンもたっぷり食べよう!
(この記事は03年10月1日に「奇天烈」サイトに書いたもののリライトで、今年の記事に日付けを合わせたものです。しかし、これを書くことによって新聞の報道が日にちを代えただけの持ち回り記事であることを発見してしまった。文章はほとんど変わらなかった。ちなみに、03年の記事全文はこうである。
「天皇陛下は29日午後、皇居内にある水田で恒例の稲刈りをした。陛下はかまを使って、5月に植えたニホンマサリ(ウルチ米)とマンゲツモチ(モチ米)計100株を丁寧に刈った」(朝日新聞03年9月30日朝刊)。
そして唯一、今年の記事には「収穫した稲は新嘗祭などに使われる」と最後に付け加えられたことも申し添えておこう。)

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