その死去から10ケ月あまり、意に添うような埋葬の仕方をめぐる逡巡、お寺探し、墓所の訪問など迷いも、紆余曲折もあってやっと辿り着いた千葉県大原の山寺――その寺の一画に母の骨を埋葬した。10ケ月自分の部屋で連れ添った母のお骨を骨壷からサラシの袋に移し替え、参列した家族、近親者で穴を掘りそこに納める。そしてその上にヒメコブシの苗木を植え、土でおおう。和尚さまの読経もあったが、ボクは墓標代わりのヒメコブシのその横で母に捧げるポエトリーを読む。
そうボクは母を樹木葬という最近、注目されている方法で葬ったのだ。
ボクには死後、山林を切り開いて作った霊園の墓石の下に埋葬するという葬制の仕方が、なんとも納得がいかなかった。人間の肉体が、死後も自然界のサイクルから切り離されている事への、疑問。霊園業者、墓石業者の華美に飾り立てるようなデス・ビジネスへの疑問。
インドでみたガートで焼かれ荼毘にふされた遺体が、一見無造作なまでにガンガ(ガンジス河)に掃き捨てられ、その川下では無頓着に多くの人が水浴しているありさま。その潔さというよりも、ヒンドゥ教徒の人々はそこバラナシ(ベナレス)で、そのように焼かれることが死後の安静を得る事として、むしろ望んでいるということ。同時にわい雑でもあるその街は、いわば死を迎えるヒンドゥ教徒にとっての聖地であり、神々にもっとも近い場所である事。そして、そのように葬られる人々の骨は、聖なる河ガンガの流れとともにゆっくりと海に流され、河床の石となり、砕かれてゆく過程の中で長い輪廻の時間を経過してゆくのだ。
(バラナシは、日本でも最近、知られてきた葬制の仕方でいえば「散骨」の一大聖地とも言えよう。)
遺骨の上に植樹されたヒメコブシは、春を迎える度に白い花をつけ、徐々に母の骨に含まれているリン酸カルシウムなどを根から吸収して滋養として大きくなり、ついには母がヒメコブシの花となり、木となったかのように大きく育ち、そこに里山の自然を復活させるよすがとなる。
樹木葬はそのようなロマンチックな夢を見させてくれるだけでなく、これまでの自然破壊で土地の私有、占有である墓石霊園やこれまでの葬制に対するアンチテーゼでもある。ましてや、この狭い国土の中で墓所は確実に生きているものの土地を狭め、里山のますますの破壊、消滅に加担するであろう。
かってこの国では、コモンズとしての共同体(村、部落)の入会地である山林、里山に死者は投げ捨てられる(風葬)か、土葬にふされた。山の彼方は浄土であり、あの世だった。山はその境界の、いわば死者の国と生きとし生けるものの国とのボーダーだった。そのようにして遺体は、自然に還されたのだった。
むしろ先祖伝来の墓という考え方の方が、近年にできたもので(明治のころと考えられる)一般的には前述した「自然葬」の方が葬制としては当たり前だったと考えられる。
あまり知られていない事だが、遺体を火葬に処しない場合も、その遺骨をむやみとどこにでも埋葬してしまう行為も、刑事罰の対象となる。実に、不自由なあたかもデス・ビジネスの利権を守るかのような規定が法的(刑法)になされている。
現在、山林から遺骨が、発見されるものなら遺体遺棄事件となり、ただちに殺人事件が想定されニュースとして報じられるという事態を引き起こしてしまう。
べつの言い方をするなら、死はおおいかくされ、死者と生者は別々の世界へ分断されてしまった。
ボクが見聞きした範囲では、タナトラジャ(インドネシア)ではいまだ風葬が当たり前であり、死後何年かたつと掘り起こして埋葬し直すという習慣があった。断がい絶壁に、その墓はあり、天空に近いところにどうやら葬られるようだった。
また、母が青春時代を過ごした地である台湾の先住民族であるパイワン族の墓は、その石造りの住居の床下だった。死者はその子孫とともに、現在という時間を過ごしているように感じられた(母は娘時代、この人たちを首刈り族と信じ、「蛮族」として大変こわがったという話を、引き揚げ後はじめて連れて行った台湾の屏東で晩年聞いた)。
わが国でも、沖縄は中国に影響を受けたような立派な墓所を持つが、御獄(うたき)はニライカナイから訪れる神が依る場所であると同時に、古代には死者を葬った場所ではないか思わせるようなアウラを放つ聖なる場所であった。
共同体(村、部落)の構成員が自由に薪や、果樹を採集できる共有の土地であるコモンズは、先祖の代からの累々たる遺骸で滋養ゆたかになってきたのかもしれない。腐葉土の下には、小動物や昆虫やバクテリアの屍骸が落葉のふとんをかけられて腐食し、分解していく。そのように、ひとの亡骸も生態系のサイクルの中にささやかに参加していたのだ。それはなんてナチュラルなありかたなのだろう。
森や里山に遺骨を埋葬したり、散骨することに抵抗もあるという(先に書いたように、むやみにやると刑事罰が与えられる)しかし、ひとがその遺骨をもって自分の故里、クニの土に還ろうと希望する事はいたって当たり前の、自然な感情ではないだろうか?
お墓で自然破壊をするくらいなら、お墓の代わりに木を植え、森を作って行く。亡骸は植樹された木の滋養となって、ついには故人は見事に咲いた花となって里山に戻ってくる。何度も何度もその樹木の花開く季節には、故人と再会する。
緑にかこまれたおだやかな山あいで、母は静かに眠りについた。来春、コブシの花が春を告げる頃、ボクらはその場所に再び会いに行く事になるだろう。不思議な事に、ボクはコブシの木を母と呼ぶだろう。まるで、神話のように樹木に化身したかのように樹木を母と思うだろう。その木に白い花が咲いたとき、ボクたち家族は神話のような時間を生きる事になる。それも、また楽しみなことではないか……。
(樹木葬をとりおこなった23日、夕刻お寺で談話していたボクらも、驚愕するような地震を体験した。本堂の天蓋もワサワサと揺れ、なかなかおさまらなかった。新潟県中越地震と名付けられたらしい地震のために、この日は一層忘れがたい一日となった。)


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