今日は6月15日である。もう毎年書いてるが、ブログの記事でははじめてだろう(ボクは数年間BBSを日誌代わりにして記事を書いていた。その記録は「不夜城1960」
http://www.geocities.jp/fuyajyo1960/というサイトにアーカイブされています)。
1960年に小説家としてデビューした倉橋由美子の訃報を伝えたばかりの翌日が6・15だとは! 奇妙な暗合ではある。
1960年6月15日、45年前のこの日、岸信介(戦犯)内閣(自民党)による日米安保条約の改定に反対する学生、労働者が国会正門に數10万規模で押しかけ、取り囲み、強行突破をはかり警官隊と激しくぶつかりあう騒然たる中でひとりの女子学生が圧殺される。当時、東大文学部に在学中だった樺美智子さん(22歳)である。3日のちに、全学連の主催で日比谷野外音楽堂で虐殺抗議集会が開かれる。彼女の手記は父母の手によって『人知れず微笑まん』としてまとまる。書名は彼女の墓誌にも刻まれている以下の詩からとられた。
「最後に」
誰かが私を笑っている
向うでも こっちでも
私をあざ笑っている
でもかまわないさ
私は自分の道を行く
笑っている連中もやはり
各々の道を行くだろう
よく云うじゃないか
「最後に笑うものが
最もよく笑うものだ」と
でも私は
いつまでも笑わないだろう
いつまでも笑えないだろう
それでいいのだ
ただ許されるものなら
最後に
人知れずほほえみたいものだ
(1956年 樺美智子作)
60年安保は全学連の昂揚をもたらしたとともに、挫折をももたらした。この世代(現在65歳以上)は同時に現在、新保守層も形成している。青年時代リベラルであったこの世代の人たちは、この国の保守、支配者層としてこの国を搾取し、悪くしている。いや、年金世代でありながら年金で細々と生きているひとをも揶揄する訳ではない。いまだ、企業に役員や、顧問という形でしがみつき、官僚として天下りしてまで甘い汁を吸いつくそうとしている吸血鬼のような一群のひとびとを指している。役得、既得権を手放そうとはせず、しがみつき他人であれば後続世代を平気でリストラしている連中である。と同時にこの世代は年金の食い逃げ世代であり、年金制度の改悪も自らの世代を擁護するのみであとは知らぬ存ぜぬを決め込んでいる。いわば、この国のシステムをも含めて私物化している世代である。そう、分かりやすく言えば西部邁が代表する世代といえばいいか。
さて、この60年安保世代がその挫折の日々に聞いた歌謡曲こそが西田佐知子が歌った「アカシアの雨がやむとき」であった(作詞:水木かおる/作曲:藤原秀行)。
1
アカシアの雨にうたれて
このまま死んでしまいたい
夜が明ける 日が昇る
朝の光のその中で
冷たくなった私をみつけて
あのひとは
涙を流して くれるでしょうか
2
アカシアの雨に泣いている
切ない胸はわかるまい
想い出の ペンダント
白い真珠のこの肌で
淋しく今日も暖めてるのに
あのひとは
冷たい眼をして 何処かへ消えた
3
アカシアの雨がやむとき
青空さして鳩がとぶ
むらさきの はねのいろ
それはベンチの片隅で
冷たくなった私の脱けがら
あのひとを
探して遥(はる)かに 飛び立つ影よ
この歌の暗さはその暗いマイナーのメロディラインも、西田佐知子の少し鼻にかかった声もあるが、なんと言ってもその不可思議な歌詞(リリック)にあるだろう。これは、誰も指摘したことがないのが不思議なんだが、1番、3番の歌詞に見られるようにこの詞の中には「死への誘惑」と「幽体離脱」が語られている。
少なくとも、この詞の時間設定は自分の死後として語られているのだ。
たとえ、それが願望だとしても(「このまま死んでしまいたい」)何処かへ消えた恋しい人を求めて、身体を離脱した魂は鳩となって探しに飛び立ってゆく。これは、変身と言うより離脱した魂が、抜け殻として変化した「影」なのだ。「私」は「ドッペルゲンガー」そして「あのひと」は「死神」……。
この詞の中には、とてつもなく死への憧れ、暗さが漂っている。「アカシア」という木の選択にも、死の匂いがかぎわけられる。アカシアは熱帯産の樹木で、成長が早い。その代わり幹が細いヒョロとしたたたずまいだ。Acacia(アカシア)は、ギリシャ語の「Akazo(とげのある、鋭い)」が語源。
花言葉は「真実の愛・秘愛・優雅・友情・秘めた恋」。おそらく、花言葉から発想されて作られた詞がこんなにも「死の誘惑」に引き込まれたのは作詞家水木かおるの個人的な資質があったにせよ、実は政情不安の騒然とした世の中にあった。
そう考えてもう一度、樺美智子の詩「最後に」を読んでみて欲しい。その詩は突然無気味なものに変わってしまう。「人知れぬほほえみ」は、死神の笑いのように思えてしまう!
キミは戦慄しないか?

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