「野里住吉神社「一夜官女祭」 @ 京都妖怪探訪(465)」
妖怪スポット
どうも、こんにちは。
シリーズ前回に続き、狒々神退治伝説が遺る大阪・野里住吉神社(のざとすみよしじんしゃ)から取材しました。
かつて毎年1月20日に、狒々神に少女を人身御供に捧げるという習慣があったと伝えられる大阪市西淀川区の野里。
ここに残る野里住吉神社には、現在でも毎年2月20日に「一夜官女祭」という当時の様子を再現したという神事が行われます。
今年の2月20日は仕事の都合で訪れることができませんので、昨年(平成28年)2月20日に行われた祭事の様子をお届けします。
祭事が行われたのは午後2時から。
張り紙の下には、一夜官女祭の巡行行列が回るルートも地図で示されています。
祭事が始まる14時が近くなってきますと、次第に人が集まってきます。
14時、境内から巡行行列が出発します。
その日は雨が降っていましたので、皆さん傘や合羽を準備されてました。
人身御供の少女を入れていた唐櫃を背負った人も。
実際の唐櫃はもっと大きかったのでしょうが、持ち運びが大変なため、小さく模したものを代わりに担いでいるものと思われます。
まずは野里本町商店街の中を練り歩きます。
商店街から出て、大きな通り沿いを歩きます。
「当矢(當矢)」という神事の為の宿です。
人身御供を出す家が「當矢」になりますが、この時はそれに見立てた公共施設が「當矢」とされていました。
巡行行列が、「官女」を迎えに「當矢」に入っていきます。
「官女」とは元々、宮中で天皇など身分の高い人に仕えて、身の回りの世話などをする女官のことですが、実際には「人身御供」、「生け贄」ですね。
氏子の家から7人の少女が「官女」役に選ばれます。
岩見重太郎が狒々神を倒すまでに犠牲になった7人の乙女に見立てられているのでしょう。
この時は中には入れませんでしたが、親子別れの杯を交わす等の神事が行われているそうです。
中でしばらく神事をした後、7人の官女を加えた巡行行列が出てきます。
元々は悲惨な場面ではありますが、現在では平和なお祭りになっています。
官女役の子の一人は、笑顔で手を振っています(笑)。
再び町中を練り歩き、神社を目指します。
その巡行の様子を、動画でも撮りました。
一行は野里住吉神社に戻ってきます。
かつて乙女たちは、
シリーズ前回で紹介した「乙女塚」の場所に。かつて「瀧の池」があった場所に捧げられていたのですが。
現在では祭事の続きを本殿内で行われます。
7人の少女と、神饌(神様に捧げる供物)を入れた7つの桶が捧げられます。
祭事が厳かに進行していきます。
神事は厳かに……とは言っても、小学生くらいの子供にとっては、神事の間の長い時間じっと座り続けるのはちょっときつかったかも。
こうしてその年の神事も無事終わりました。
故事や伝説を後世に伝えるための祭事。
当時は村人にとって悲惨な記憶のはずですが、それすらも厄除けや招福を祈願する平和なお祭りになっています。
ところで以下は個人的に思っただけのことですが。
伝説の前半部分、「乙女を狒々神の犠牲に捧げた」というところは祭事で再現されましたが。
後半部分の「勇士・岩見重太郎が狒々神を退治して村を救った」という部分は表現されないのでしょうか。
私は最初、
出雲神楽みたいに、祭事の終盤で岩見重太郎が狒々神と戦って倒す様子を表現する神楽でもあるのかな、とか思っていましたが。
この地の住人で悲しい記憶だった部分を再現しても、村が救われた後半部分、村人にとって喜ばしいところは表現しないのは何故なのかな。
そんな疑問が沸いたのですが……多分、現在では誰もわからないのかもしれませんね。
あ、失敬。
もう何年も
こういうシリーズ記事を書き続けておりますと、余計なことまで考えてしまう癖がついてしまうもので(苦笑)。
それでは今回はここまで。
また次回。
*野里住吉神社へのアクセス・周辺地図は
こちら。
*『京都妖怪探訪』シリーズまとめページ
http://moon.ap.teacup.com/komichi/html/kyoutoyokai.htm
