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どうも、こんにちは。
今回は、
『京都妖怪探訪』シリーズをやってきた者として、以前から一度訪れてみたい場所のひとつであり。また、京都が数多くの霊場魔所や妖怪伝説・伝承が遺される地となったきっかけともいうべき重要な場所を訪れます。
それが、今回訪れる
乙訓寺(おとくにでら)です。
桓武天皇がせっかく創った長岡京をわずか10年ほどで放棄し、平安京を創ったきっかけ、それが早良親王の怨霊騒動です。早良親王は桓武天皇の弟だった人物ですが、藤原種継(ふじわらのたねつぐ)暗殺事件に関与した疑いをかけられ、無実を訴えたにも関わらず無念の死を遂げ、その後怨霊となって祟り続けたと伝えられています。
その怨霊によるとされる災厄が続いて、恐れをなした桓武天皇は長岡京を放棄し、新たに平安京に遷都した。
なんと、千年の都・京都が創られるきっかけとなった怨霊騒動だったのですね。
その時、早良親王が幽閉されたというのが、牡丹の名所として有名なこの古刹なのです。