どうも、こんにちは。
シリーズ前回で、特別編として「平将門の首塚」をとりあげましたが、いきなり京都へ戻ります。
今回は報恩寺と、そこに伝わる「つかずの鐘」を紹介します。
この寺には「つかずの鐘」と呼ばれる鐘が残されていて、それには以下のような話が伝わっています。
江戸時代、寺の近くに織屋があって、十五才の丁稚(でっち)と十三才の織女(おへこ)が働いていました。この2人は何故か仲が悪く、いつもいがみ合って、喧嘩ばかりしていました。
ある時、夕方に報恩寺でつかれる鐘の回数を巡って喧嘩になり、丁稚は「八つ」と、織女は「九つ」と言い張り合いました。そして間違った方が、正しかった方の言うことを何でもきくと約束しました。
正解は、織女の言うとおり「九つ」。
しかし悪知恵の働く丁稚は、密かに寺男に「今日だけは八つにしてくれ」と頼み込み、事情を知らない寺男は気軽に引き受けました。
その日の夕方、鐘は八回鳴ったので、賭けは丁稚の勝ちとなりました。
織女の方は悔しさのあまり、寺の鐘楼で首を吊って死にます。
それ後、鐘を鳴らす度に「不吉なことが起こる」とか、「無念の表情をした織女の霊が現れる」とか言われるようになりました。
それ以来、この鐘は「除夜の鐘」としてのみ、つまり大晦日に除夜の法要後に108回つかれるだけとなって、「つかずの鐘」と呼ばれるようになったそうです。
今年もあともうわずか。
あと少しで大晦日になりますので、
本シリーズ今年最後の記事として、大晦日にのみつかれるこの鐘をとりあげようと思いました。
またこの寺には、寺宝「鳴虎図」にまつわる伝説も残されています。