平安時代、天皇を苦しめた「鵺(ぬえ)」という妖怪を、源頼政が退治した。
有名な妖怪退治伝説のひとつですが、その時に使われたという矢が奉納されているという神社が、今でも京都市内に、しかも京都市の中心部である四条烏丸付近にあります。
そして毎年、例祭の日にその矢が公開されます。
そんな鵺退治の伝説が残る地を訪れ、その矢を撮影してきましたので、今回紹介します。
まず、
シリーズ第160回でもとりあげましたが、「鵺伝説」の概要についておさらいしておきましょう。
平安時代末期、近衛天皇の時代。
御所・清涼殿に、毎晩黒雲と共に不気味な鳴き声が響き渡り、天皇とその一族を恐れさせていました。そのうち幼い天皇は病の身となってしまい、いかなる治療や加持祈祷なども効果はありませんでした。
そこで弓矢の達人である源頼政に、その正体不明の怪物を退治するように命令が下されました。
ある夜頼政は、家来の猪早太を連れ、先祖の源頼光(酒呑童子などを倒した英雄として名高い人物です)より受け継いだ弓を手にして御所に出向きます。
清涼殿を覆う黒雲に向かって矢を射ると、奇怪な怪物が落ちてきました。
頭は猿、胴体は狸、手足は虎、尾は蛇。その姿で、「ヒョーヒョー」という鳥のトラツグミの声に似た大変に気味の悪い声で鳴く。文献によっては多少の違いはあるようですが、そのように大変奇怪な、ギリシャ神話の怪物キメラのようないくつもの動物が合わさったような姿をした怪物だったとされています。
その姿は、北東の寅(虎)、南東の巳(蛇)、南西の申(猿)、北西の戌亥(犬とイノシシ)といった干支をと方位を表す獣の合成という考えもあります。確か、この4方位は陰陽道では不吉とされる方位であり、まさに「不吉なものを合わせた象徴」ともいうべき姿です。
(※その姿形について、最もよく知られているのは、鳥山石燕『今昔画図百鬼』に描かれたという
こちらの姿でしょう)
落ちてきたところを、すかさず猪早太が取り押さえてとどめを差しました。
これにより、天皇の病気も平癒し、御所にも平穏が戻ったと伝えられています。
話を戻します。
そんな鵺伝説が遺る地を訪れるために、ますはアクセスから。