京都には、
「鉄輪の井」や、
「安井金比羅宮」や、
「おかげ明神」など、恐ろしい呪いや縁切りの魔所がいくつもあり、
『京都妖怪探訪』シリーズで何度かとりあげてきました。
今回もそうした縁切り魔所のひとつ、しかもその中でも特に恐ろしい魔所のひとつを紹介します。
菊野大明神。
祀られているのは、深草少将という平安時代の貴公子です。
より正確に言えば、御神体として祀られているのが、深草少将が腰掛けたとされる「深草少将腰掛の石」という石です。
深草少将の名前を聞いて思い出した方もおられるかもしれません。
シリーズ第99回などの
本シリーズ「小野小町関連エントリー」でも取り上げたことがありますが。
「深草少将百夜通い」という、小野小町に関する伝説に登場する人物です。
ここで、その伝説の大まかなストーリーを改めて説明します。
絶世の美女と言われた小野小町に恋をした男というのはあまた居ましたが、最も熱心に求愛をした貴公子の一人に、深草少将という人が居ました。
小町に求愛した深草少将は、彼女から「百夜通ったら想いを遂げさせてあげましょう」と言われます。
それ以来少将は、毎夜小町の元に通い、その証拠にと榧(かや)の実をひとつずつ置いていきます。
しかし九十九日目の大雪の降る夜、少将は最後の榧の実を持ったまま、力つきて倒れてしまいました。
よく伝わっているのはこような話ですが、「最後の夜に代人を立ててしまって、それがバレて小町にふられてしまった」という説も伝わっています。
小野随心院に伝わっているのは、後者の話です。
いずれにしても、深草少将は想いを遂げられず無念の結末を迎えることになるわけです。
また、
小野小町の館があったとされる小野随心院の住所は「京都市山科区小野御霊町35」です。
この中に出てくる「御霊(みたま、ごりょう)」という言葉は、怨霊などの死者の魂を意味する言葉です。
ということは、過去に何か……御霊(怨霊)を生み出すような事件があったのか?
そんな疑いを抱かせます。
もしかしたら、まだ我々も知らない隠された事実もあるのかもしれません。しかし、それを除いて考えれば……怨霊を生み出すような事件と言えば、まず思い浮かぶのが深草少将の無念死です。
能『通小町』や
『卒塔婆小町』などでも伝えられているように、深草少将はものすごく深い無念・怨念を抱いて亡くなったと思われたようです。
そんな言い伝えが、「深草少将腰掛の石」を、縁切りの神様に変えてしまったのでしょうか。
「婚礼の際には菊野大明神の傍らを通ってはいけない」とも言い伝えられています。