どうも。
今回はいきなりですが、今年の8月に……つまり今から3ヶ月ほど前に撮影した写真を元にして記事を書きます。
最近は多忙につき、あまり外へ出歩くのがしんどくなってきていますが、ちょっと前までは休みの度に京都やその周辺の観光地や妖怪スポットなどを訪れては写真を撮りまくっておりました。
そうやって撮りだめした未発表写真が、まだまだこちらにたくさん残っているのですよ。だから、3ヶ月ほど前に撮った写真を今頃公開ということになったのですが(笑)。
しかしそれでも、まだ訪れていない妖怪スポットや怪しげないわくのあるスポットなどが、京都市内だけでもまだまだたくさんあるのです。
そういうことですから、この『京都妖怪探訪』シリーズもまだまだ続きそうです。
ここから本題に入ります。
本シリーズで何度もとりあげたことのある、あの世とこの世とを行き来し、閻魔大王の側近として地獄で働いていたという伝説を残した超人・小野篁(おのの・たかむら)。
毎夜彼は、
六道珍皇寺にある「冥土通いの井戸」から地獄へと行き、閻魔大王の元で仕事をしていたと伝えられていますが、その帰り道に通ったのが招金山福正寺というお寺の井戸だったそうです。
そのため、
六道珍皇寺とその井戸が「死の六道」と呼ばれたのに対し、こちらの福正寺の方は「生の六道」と呼ばれたそうです。
しかしながら、その後福正寺はいろいろとトラブルがあって衰退し、明治の頃には清涼寺(嵯峨釈迦堂)の境内にある薬師寺に合併するという形で廃寺になってしまったそうです。その際に、本尊の「生六道地蔵菩薩」像と小野篁像も薬師寺に移され、仏事や建具も薬師寺に受け継がれました。
この薬師寺本堂は普段は一般公開されないそうです。
しかし年に一回、8月24日の「地蔵盆」の日だけは、一般公開されます。
今年の8月24日は夜勤明けで、「疲れた身体をおして行くのは正直しんどいなあ」という思いもありましたが、「年一回の貴重な機会を逃すわけにはいかない!」という思いの方が勝り、無理してでも行くことにしました。