どうも。
このところ公私共にオフの多忙が続きまして、半月ほど更新を止めてしまいました。
なんとか再開といきたいところです。
前々回と
前回の続きで、先月8月に行われた「六道まいり」の話です。
今回は、「六道の辻」近くにあり、やはり「お精霊迎え」が行われていた名刹・六波羅蜜寺をとりあげます。
六波羅蜜寺は、天暦5(951)年、醍醐天皇の第二皇子とも言われた空也上人により開創された、密教系の寺院です。
空也上人は、疫病の蔓延(まんえん)する当時の京都で、この寺の本尊である十一面観音像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、多くの病人を救ったと伝えられています。
また、妖怪・怨霊関連で空也上人といえば、平将門の霊を鎮めたとか、供養したとかいう伝説も残されているそうです。
平安末期には、この辺りには平氏一門の屋敷などがあり、平氏と深い関係のある寺としても有名です。
さらに鎌倉時代には、幕府が京都に睨みをきかすための六波羅探題が置かれていたりなど、しばしば歴史の舞台にもなった場所でもあります。
ところで
シリーズ第31回にて、この辺りの地名・六原(=六波羅)の由来は「髑髏ヶ原」から来ているという説を紹介しましたが、今回紹介します「六波羅蜜寺」の名の由来を見ると、どうやら仏教の6つの修行を表す「六波羅蜜」(=布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧)から来ているそうです(その詳細については、
六波羅蜜寺のHPをご覧ください)。
考えてみれば「六原(=六波羅)」の地名の由来は、こちらの方が正しいかもしれない‥‥などと思うようになりました。
だって、この地が本当に風葬の地だったのならば、人骨もほとんど完全に風化して、残っているはずがありません。
「掘り返したら大量の人骨が出てきた」という話は、本当にあったのかどうか‥‥?
さて、その真偽は別としまして、六波羅蜜寺を訪れた時の話を始めます。