古都・京都のいわくつきの妖怪・魔界スポットをめぐる「京都妖怪紀行」。
第5回目は、京都の妖怪スポットの中でも、人々の様々な想いが渦巻く場所のひとつです。
そこは、安井金比羅宮です。
安井金比羅宮とは、「大化の改新」で有名な天智天皇の時代、藤原鎌足(ふじわらのかまたり)が一堂を創建し、紫色の藤を植え藤寺と号して、一族の繁栄を祈ったことに始まります。
祭神は、大物主神(おおものぬしのかみ)と、鵺(ぬえ)退治伝説で有名な源頼政、そして崇徳上皇(すとくじょうこう)です。
崇徳上皇とは、歴史上では1156年の保元の乱で敗れ、讃岐国へと流刑にされた人物として有名です。
小倉百人一首の「瀬を早み岩にせかるる滝川のわれても末にあはむとぞ思ふ」の歌の作者としても有名です。
そして……死後に「日本国の大魔縁(大魔王)」となって、飢饉や天災、政変などの凶事を起こしたといわれています。
平将門や菅原道真などに匹敵する歴史的に有名な大怨霊として、その道では有名です。
この崇徳上皇については、後のシリーズ記事でもとりあげたいと思います。
ここでは、崇徳上皇に関する次のエピソードを紹介します。
崇徳上皇は特にこの藤を好み、ここに堂塔を建て、寵妃・烏丸殿(からすまどの)を住まわせたという。
崇徳上皇が保元の乱に敗れ、讃岐で亡くなった時に、烏丸殿は寺中の観音堂に、上皇から賜った自筆の肖像を祀りました。
のちに後白河法王(ごしらかわほうおう)の詔によって、建治年間(1275〜77)に光明院観勝寺が建立されたのが、この神社の起こりといわれています。
そういったエピソードもあって、ここは縁切りと縁結びの神社としても有名です。
この場所に、私も行ってきました。