読者の皆さんは、ニコロ・マキュアヴェッリをご存知だろうか?
『君主論』や『政略論』などを著し、マキュアベリズムの語源ともなった、ルネッサンス期の政治思想家である。
彼の著作は、題名からもわかるとおり、元々は君主(政治的指導者)となる人のために書かれたものである。だが、その冷徹なまでに現実主義的な歴史観・人間観に基づいた思想は、しばしば政治的指導者ではない一般の人にとっても、いろいろと役立つことも多い。
そしてこの私自身、マキュアッベリの言葉に教えられ、そして救われたことが何度かあった。特に最近……。
彼の言葉に最も助けられた時、それは……今から3〜4ヶ月ほど前、ネットウヨと呼ばれる人たちの集中攻撃に晒された時のことである。今ではすっかりこの種の攻撃には慣れてしまったものの、最初のうちはショックのあまり本気で「もうネットでの言論活動をやめようか」とも思った。
しかし、そんな私を支え、なおかつ再び立ち上がる勇気と気力と与えてくれたものが2つあった。一つは、何人もの読者や友好ブログの皆さんが支えてくださったことである(その時支えてくださった方々には本当に感謝している!)。もうひとつが……昔読んだ本で触れた、マキュアッベリの言葉である。
特に小泉首相の靖国参拝や、安倍晋三官房長官の次期総裁選有利などのニュースが流れた辺りから、ネットウヨの活動が活発化し、あっちこっちのブログに出没しているようだ。悪質なネットウヨのコメント・TB攻撃に悩まされいる人や、彼らに目を付けられてしまった人もいるのではないか、と思う。以下に私が書くことが、そのような方々の一助にでもなれば、幸いである。
「人間にとって、いかに生きるべきかということと、実際はどう生きているかということは、大変にかけ離れているのである」
『君主論』の中にあるこの言葉に象徴されるように、倫理と現実(主には政治的現実)とを冷徹なまでに区別し、更に場合によっては倫理的に問題のある手段を用いてもかまわないと、マキュアッベリは主張した。
そのあまりに冷徹な主張のため彼は、しばしば誤解されることも多い。