失礼を承知・覚悟の上で言わせてもらうと、ネット右翼の増殖と横暴の責任は、「左派や自称市民派、あるいはリベラル派などといった人たち自身が抱える問題」にもある、と私は思う。
前回記事において私は、「何故、社会的弱者がネット右翼に走るか?」という問題について考えたのだが、そのうちにひとつの疑問を抱くに至った。
昔だったら、そういった人々は左翼運動や、あるいは【Under the Sun】などの「格差社会に反対しよう」という運動に加わったかもしれない。直接加わらなくても支持・賛同をしてくれたかもしれない。
だが……今の現実は必ずしもそうはなっていない。何故か?
もしかしたら、彼ら自身だけでなく、彼らの支持や共感を得ることが出来なかった左派とか市民派と言われる人々の方にも問題があるのではないか?
そのようにも考えた。
更に、ネット右翼と呼ばれる人たちは、左翼・市民派批判をやっているにも関わらず、その言動は実にサヨク(サヨク)的である。これは、『気ままにつれづれ』さんや山澤氏など、少なくない人たちが気づき、指摘されていることである。何故か?
ここにも、左翼とか市民派とか言われた人たちの責任があると思う。そして、ネット社会のそれを含む、日本の言論がダメになった理由も、そこにあると私は考えている。
このテーマについての文章は長くなったので、何回かに分けて論じていきたい。
今回はまず、「いわゆるネット右翼(及び左翼・市民派批判をする人たち)の言動までもが、しばしばサヨク(左翼)的なのは、何故か?」という問題について、少し考える。
まず、悪い意味で「サヨク(左翼)的な姿勢・言動」とはどのようなものを言うのか。