「フェルメール展で「芸術とは必ずしも高尚できれいなものばかりとは限らない」と学んだような気がします(笑)」
オタ活報告
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どうも、こんにちは。
17世紀オランダで活躍したという
ヨハネス・フェルメール及び、その関連する画家の作品が展示される
『フェルメール展』が、今年2月まで東京で、そして今年2月から5月までに
大阪市立美術館で開催されます。
「ちょっと面白そうだな」とか思ったので、先日行ってきました。
女優・石原さとみさんの音声ガイドによる解説を聴きながら回りました。
そして、芸術と必ずしも綺麗なこと、高尚なことばかりでは無い、ということを改めて学んだような気がします(笑)。
以下、気になった作品の中からいくつか紹介を。
フェルメール展・物販コーナーで買った絵葉書からですが『家族の情景』。
一見すると賑やかで楽しい親族一同の集まりですが、中央の卓に立たされている赤ちゃんを取り囲む大人たちは皆ドンチャン騒ぎしていて、「大人がだらしなくしていると、子供の教育に悪い」という教訓的な作品だそうです。こういう教育的・啓蒙的な作品も当時は好まれたようです?
『恋文』。
贈られた恋文(或いはその返事)を不安そうな表情で持つ女主人(或いは令嬢)のに、「大丈夫ですよ」と優しく微笑むメイド。
名画には背景やストーリー、登場人物の感情が込められていて、それらを読みながら観賞するものなのか、少しわかったような気がしました。
『手紙を書く男』と『手紙を読む女』。
これは2枚で一組になっているようで、少し説明が要るかも。
勿論、このカップルは手紙(おそらく恋文)をやりとりする関係なのですが、背景の絵画や小道具も、この二人の関係がどんなものかを表しているのが、わかる人にはわかるというものです。
『手紙を書く男』。
身なりと地球儀は彼が地位や教養ある人物だということを表しています。その一方、背景の絵画に描かれた山羊や額縁に彫刻された鳩は、「移り気」を象徴するものだそうで、あまり誠実な人物ではなさそうです。
『手紙を読む女』。
そんな移り気な彼に振り回されている彼女は、不安げに、他人に文面を見られないようにしています。横でメイドが見ている嵐の絵は「恋は嵐の如く危険やリスクを伴うものだ」という当時の社会で言われていたことを象徴しているという。
『手紙を読む女』。そんな移り気な彼に振り回されている彼女は、不安げに、他人に文面を見られないようにしています。横でメイドが観ている嵐の絵は「恋は嵐の如く危険やリスクを伴う」という当時の社会で言われていたことを象徴しているという。
この恋愛、あまり上手くいってないのかも?
当時の社会でよく使われた比喩表現など、予備知識があれば背景がより理解出来るという作品ですね。
『取り持ち女』。
やり手おばさん「どうですか、ダンナ? いい子でしょ」
赤服の男「おー、ええおっぱいしとるなあ。なんぼ? こんだけで、やらせてくれるの?」モミモミ
黒服の男「いやー、お楽しみですか。いいですねえ」イシシシ
この絵はマジでそんなシーンです。
このようなエロいというか、随分と人間くさい場面を描いた作品も名画として後世に遺されているのですから。ここで現在でも議論の対象となっている「エロ」と「芸術」と「表現の自由」等について、ちょっと考えさせられましたね・・・。
今回はここまで。
また次回。
*フェルメール展のHP
https://www.vermeer.jp/
*大阪市立美術館のHP
https://www.osaka-art-museum.jp/
*
『京都妖怪探訪』シリーズもよろしく!
