氷点下の冬日が続きましたが、どうやら連続は途絶えたようですね。それでも今朝は幹線道路はともかく、道路が白くなっていましたから、冷え込んだのはたしかなようです。週末には暦の切り替えの日がひかえているのですが、しばらく「春は名のみ」といった具合が続きそうです。
さてマサユキです。競技歴は短いですが、埼玉県のラグビー関係者の誰もが知る、「相撲取り」です。競技を始めて実質一年半で、オール埼玉Bに呼ばれ、都県対抗戦にエントリーされました。相撲経験者は、体幹がしっかりしています。ラグビーという身体接触を伴うスポーツにおいては、それが最大の武器になります。体幹がしっかりしているということは、軸がぶれないわけですから、プレイが安定するのです。
相撲を続ける環境に恵まれなかったのは、彼にとっては不幸かもしれません。相撲を続けるために進学先を模索した時期もあることを知っているだけに、難しい決断があったのでしょう。ただうちとしては、それが幸いしたことになります。不謹慎か発言だとは分かっていますが、それでもうちの宝となったと添えることでお許しいただきたい。め組の屋台骨となってくれたわけです。相撲という個人の道を極める競技から、もっとも人数の多いスポーツへの転身が、彼の心になんらかの良い影響を与えられたら幸いだなという思いが、私には強くあります。彼が大学でもラグビーを考えているということ(実際にやるかどうかは先の問題として)が、一つの答えかもしれません。
1年生の秋にラグビーをスタートするのですが、最初の一年はケガとの戦いでしたね。体重の重い選手は、どうしても足腰に負担がかかるために痛めることになります。ただラグビーの場合、まったくどこも痛めていない選手の方がまれで、各自でなんらかの故障を抱えながら、上手に折り合っていくという側面があります。彼も腰に加えて、肩の脱臼癖の再発など、最後の最後までいくつかの爆弾を抱えながら、それでも痛くともプレイを続ける姿勢へと変わっていきました。そこにナオさんという陰の功労者がいたことも感謝しなければなりませんね。体のメンテナンスは、すっかりお任せになってしまいました。それだけに体のメンテナンスに関しては、本人自身もそうですが、他の部員たちのケアも献身的に面倒を見てくれていました。相撲などで培った面も大きかったのかもしれません。マッサージやテーピングなど、実に見事な手つきでこなしていました。
2年生の夏合宿では、脳しんとうに悩まされました。やっと思うように動けるようになった矢先だけに、本人もずいぶんと落ち込んでいましたね。空気が薄い高地ということもあり、なかなか頭痛が取れずに苦しみました。ただそれを乗り越えて、新チームになってからは文字通り邁進してくれ、必ず大きくゲインする起点でした。突破はもちろんのこと、試合展開によっては、最重量フィニッシャーとして得点シーンで姿を見せました。対応力の高さは、運動能力の高さだと言い換えてもよいでしょう。実に器用に様々なプレイに対応していました。もともと工夫が大好きなのかな、様々な提案をしていました。クラブの活性化という面でも、マサユキの存在は頼もしかったですね。

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