朝から重たい雲が垂れ込めて、降り出しは予報よりも早く、冷たい雨となりましたね。北国はササラ電車の頼りなども届き始め、また冬に一歩近づいた感じですね。
ラグビーは体格に応じて、ポジションが決まっているわけではなく、大きなバックスもいれば、小さなフォワードもいます。そこには本人の希望だったり、運動能力が関わるのですが、他にもチームの事情などが絡むこと少なくありません。おそらくこのシリーズの最後のケンのときには、そんなことを詳しく書くことになるでしょう。昨年のビックベアーやブルのような見るからにフォワードという体格の選手だって、メサキなどはうちではフルバックでプレイをしました。国体でオール埼玉で呼ばれる際には、フォワードでの出場もあり得るというのが女権でした。そして今はかつてバックスだったのかと思われるほど、筑波のフォワードとして定着しています。彼については、また後日詳しく語ることにしましょう。
とにかくそんな中、決して恵まれた体格ではないコースケは、それでも常にこの学年の屋台骨として、スクラムの最前列にそれこそ君臨し続けたのです。コースケのスクラムは、まさに君臨と称して良いほどに立派なものでした。それは誰もが認めるはずです。前述のとおり恵まれた体格でない人間がスクラムの第1列にいるのは、並大抵のことではありません。チームの誰よりも忍耐を必要とします。そしてコースケの忍耐は、スクラム時に限らず、この一年のすべてにおいてであったかもしれません。チームの人間関係も、彼が想像したものではなく、その局面局面で苦しく、険しいものだったはずです。それをコースケが懸命に耐えるから、同級生以上に後輩たちがついていったはずです。コースケにその自覚はおそらくないでしょう、それがまたコースケなのです。常に謙虚に、縁の下の力持ちとして、口数がそれほど多くはなくとも、その歯を食いしばる姿が、多くの後輩に勇気を与えたのです。コースケがいなければ、フォワードは解体していたはずです。事実、何度も解体の危機があったではないですか。それを乗り越えて、モールでトライの取れる、格上の相手にもスクラムだけは決して負けないチームに仕上げたのはコースケの力です。そのことを忘れずにいてください。
忍耐の男は、後輩や仲間の言葉に耳を傾けるのは上手でしたが、弱音を吐くのは苦手でしたね。そのコースケが、夏に見せた弱音はそれほどに本気であったことを示しました。それまではもしかすると、手は抜かずにはやってきたけれども、心を込めてチームに向かうことを無自覚に避けていたのかもしれません。そういう距離感がコースケを常に冷静に、周囲に気遣いをさせていたのでしょう。ところがそこからグッと一歩を踏み込んでみた。そうしたらこれまでに味わったことのない焦燥感に駆られるわけです。だって残された時間はわずかですからね。あの経験を忘れずにいてください。あの日の涙は、コースケが自分でもそれまで知らなかった自身を出会った瞬間でもあったのですから。そしてそんな自分を、胸を張って認めて、これからも歩んでいきましょう。歴代の三本指に入るであろう、偉大なフッカーとしての誇りを持っていてください。

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