昨日の寒さは一時的なものだったようで、今日はまた小春日和の穏やかな日でした。ついさだまさしの「秋桜」を口ずさむのは、年齢のせいでしょうね。だいぶゆるかったのですが、それでもグランドには入れて、なんとかなりました。
さて今日はトシです。彼が入部を決めた日に、落胆していた教員がいたことを忘れられません。キャプテン候補だったそうです、それだけにショックは大きかったと話します。もちろん彼が最初に所属していたバスケット部の顧問です。うちから他のクラブに回っていくことはあまり、というか、ほぼないのですが、他のクラブからうちに回ってくるケースは少なくありません。中学が開校してからは、中学時代には他のクラブに所属していて、高校からうちにという例も枚挙にいとまがありません。開校時に中学にラグビーは作らないと決めたときに、看板を下げる覚悟もしたのですが、それも杞憂に終わり、隣のグランデで活動していることもあり、身近に感じて比較的安定的に部員の確保ができるようになりました。それでも途中から転部してくるのは、稀でもあります。ですからこちらもそうしたメンバーを大切にしますし、手放したクラブの顧問は思うところがあります。
クラブにはそれぞれ文化があります。上級生がどうあるべきか、下級生がどうすべきか、という決め事のようなものです。そしてその多くはいわゆる縦社会の構図で、上級生が下級生に対して、というのが一般的な姿です。それがあたかも体育会系のようにいわれるのですが、決してそうではないのですよね。そうではないというのが、うちの文化でもあります。実は先輩たちが優しいのです。それは他のクラブとは比ではありません。さらに卒業生はもっと優しいです。トシが転部を決めた背景には、こんな運動部の文化の違いがあったように感じるです。
トシのスピードは、このチームに力を与えました。いくつかの個性の中で、実はこの代に欠けているものにスピードが上げられるからです。しかも重心が低く、習いたてでありながら、恐がらずにタックルにも入れました。ただ途中加入の部員の誰もが苦しむのですが、やはりケガに泣かされます。それまでケガに無縁なスポーツだった選手は特に苦しむことになります。それでもそれを越えていくだけの忍耐がありました。
フルパックとしては、経験不足がどうしてもトシを苦しめることになりましたが、生来のまじめさで粘り強く経験を積み重ねました。いかに前にプレイをさせるか、自分はポジショニングだけでしのぐかを考え続けました。それでも最後の慶應戦が象徴的だったように、自分が体を張ることを選びました。それがこのチームでもありました。誰も人任せにせず、自分が前に出るのです。そうしないと気が済まないトシがいました。常に進化し続けました。ケガに泣かされたのは、私自身がそうであったので、それがどれほど口惜しいのかも知った上で話しをしました。夏には悔しい涙もありました。うまくいかない、歯がゆい、それを経験した選手は、人として大きくなります。だからこそあの涙は忘れません。そして知ったはずです、その答えは自分の中にしかないことを。
自分がしてもらったように、後輩にもしていましたね。誰よりも後輩に気を遣い、優しかったトシです。そうした優しさのリレーをこれからも続けてください。そうすれば、みんなが同じ色に染まります。そうしたタイトルにしてみました。

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