昨日は年に一度の同窓会の総会でした。卒業生から卒業時に会費を納めていただき、年に一度会報を作成し、文化祭に参加し、40歳の年の期がホームカミングデーを実施しているのです。卒業生全員から会費を募っていることもあり、お金に関しては慎重に取り扱うことにしており、毎年その報告のため総会を開催しているのです。総会だけのためにはなかなか来てはいただけないので、総会後には懇親会も開催しています。私は卒業生教員ということもあり、毎年この総会の運営をする立場にあります。
この総会と懇親会に懐かしい顔がありました。トウハラ先輩です。サクライ先生が一年生の時の三年生というのが、もっともイメージしやすいでしょうか。私が教育実習に行った際に、ホームルームクラスの生徒でもありました。この代はラグビー好きが多く、卒業してからも合宿をはじめとしてOB戦にもよく顔を出してくれました。ただここ数年はみんなそれぞれに仕事も忙しく、なかなか会う機会がなかったのです。今回、ある偶然があって、彼が足を運ぶことになったのです。
このトウハラ先輩は、獨協大学の英語学科に進学します。この時点である程度、優秀であったことが理解されるでしょう。ところがある日、私のところに相談に来ました。受験をし直したいというのです。家業もあり、理系の進学を目指したいと相談されました。大学を休学して、受験勉強に切り替えます。そして東海大学の工学部に合格するのです。これでエンジニアの道へ進むのかと思いきや、この受験勉強のさなかに近親の不幸に見舞われ、さらに方向転換をして医学の道に挑戦したいとまたまた相談されました。ご両親が許すのであれば、それも道だねと話して、翌年に見事帝京大学の医学部に合格するのです。なかなかの経歴ですよね。真剣に自身の将来を見据えると、こんなこともあるのかもしれません。
そのトウハラ先輩は、その後医者となり、今は病院の勤務医です。先日、相撲部屋を取り次いでくれたのが、同窓会の会長です。その会長の父上が昨年、体調を崩し救急車で運ばれます。そのまま手術となるのですが、その手術の執刀医がなんとトウハラ先輩だったわけです。彼は彼で、同窓会報で会長の名前と顔写真を見知っていたのです。果たして高校の先輩と後輩という形でつながったのです。そこで昨日の同窓会の参加とあいなったわけです。
1980年創立の高校ですから、それほど古い歴史を持っているわけではないのですが、やはり30年も過ぎるとどこかでつながることもあるのでしょうね。来年、トウハラ先輩の代がホームカミングデーの年に当たるので、彼にも協力してもらうことにしました。昨年は板橋の病院でしたが、この春から埼玉のふじみ野の病院に移ったと話していました。
このトウハラ先輩の経歴を話すと、ヤギが目を丸くして驚いていました。ここのところ医学部を目指すラグビー部員はいませんからね。コトウ先輩が最後かな…それはともかくこうしてみても、やはり人の縁は大切にしていきたいですね。そんな人たちを少し遅くまで飲んでいたこともあり、昨日はここをお休みしました。ごめんなさい。

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