ここのところ、新聞でも、おそらくコマーシャルなどでも、言葉にとても神経を使っているように感じます。公共広告機構については、いろいろとご意見もあるでしょうから、あえてここでは取り上げませんが、たとえば「がんばれ」という言葉です。ラグビー関係者はご存じだと思うのですが、夏の菅平で売られているTシャツには名言(迷言?)がプリントされているものがあります。「口だけジャパン」などがそれですね。その中に「がんばれって言うな、がんばっとんねん」(若干の語尾の違いはご勘弁)というものがあります。まさに今の日本がそれなのでしょうね。被災された方は、すでに「がんばる」ことを強いられています。がんばらねばならないのです。それなのに、というよりもその上に「がんばれ」は、気持ちは理解できるのですが、どうしても聞かされた人たちは違和感を覚えるかもしれません。これ以上、どう「がんばれ」というのかと…すでに「がんばっている」人たちにかける言葉に苦慮するのです。避難所にいる人たちは、この状況がいつ解消されるのかの見通しも立っておらず、つまりはいつまで「がんばれ」ばいいのかも見えていないわけです。
こんな時、海外はどう表現するのだろうと気になってテレビをみていたら、横断幕に大きく「がんばれ日本」と書かれた下に、英語で「pray for Japan」とありました。日本のために祈っています、というのでしょう。ボランティアなどで直接、手を貸してあげられるのならともかく、そうでないのであれば、気持ちを寄り添わせることが大切なのかもしれません。そういう言葉のように感じました。
どんな相手に、どんな言葉をかければいいのか、職業柄よく考えることです。クラブの部員、クラスの生徒、受験に臨む生徒、合格を勝ち取れなかった生徒、不幸に見舞われた人たち、そんな人たちに向ける言葉、そして気持ちを紡いでいくべきなのか、深く深く考えます。たった一つの言葉が、誰かを勇気づけたり、元気にしたりする力を持っていることを知っています。もちろんその逆に、鋭利な刃物のようになることも知っています。それを自覚した上で、こんな時期だからこそ、言葉を大切に使いたいですね。

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