予報よりはましだったのかなと思いつつ、朝の8時半にはすでに一日の仕事を終えた気分でした。月に二度ほど駅前に行き、バス指導があります。天気で電車も、バスも順調であれば、ここ数年は手の掛からないものとなりました。ところが今日のように朝から雨が降っていると、駅前が送迎の車であふれることもあり、バスの循環が悪くなります。そのためにどうしても遅れがちで、とにかく最後のバスまでに全員を乗せることに心血を注ぎます。そんなわけでこんな朝のバス当番は、終わるとなんだか一日の仕事が終わった気分だったりするわけです。それでも授業が待っているのですけれどね。
週末に教え子の結婚式が続き、そこで久しぶりにあれこれと語ったりもしました。アルコールが入っていることもあり、ただの思い出話からもう少し突っ込んだ話にもなったりします。そのときに、もうかれこれ10年前になるのでしょうが、あまり細かなことを指示しなかったのはどうしてか?と、問いただされたのです。彼らから見ると、グランドを櫻井先生に任せた今の方が、よほど細かに試合の指示などを出しているというのです。
たしかにそうでした。それほど細かな指示を出してはいなかった頃です。それは強い弱いよりも、勝つ負けるよりも、うちの学校が目指すところでもある「自ら考え、判断できる」ということに重点を置いていたからです。それだけの素地があったと思っています。だからこそ合宿でも本気でけんかをした代です。だからこそ彼らを信じてみたかったのです。それは今の生徒たちを信じていないという意味ではなく、彼らが自分たちでチームを作っていくことに意味を見いだすであろうと言うことです。それはその前に一度、15人を割り込んで、それまでの流れが断ち切れたために今一度、新たにうちらしさを作り直す必要があったからなのです。
今はこの先輩たちから切れずに脈々と培われてきたものがあります。それを継承しながら、その年の個性を活かすためのチーム作りをしています。それはその年々で違いはありながらも、細かなことでも言葉にすることで自信を持ってプレイができる気質に変わりつつあるようです。特に大事な試合では、少しのミスは問題ないのだと、私たちが伝えることで次へと向かえる気がしています。
クラブが学校教育の一つである以上、勝負以上にクラブを通して身につけねばならないものを優先する時期もあります。ある意味では櫻井先生との役割分担としても、クラブを通してラグビーを教える側面と、ラグビーを通して人を育てる側面とを互いに入れ替えながら伝えていくべきなのだと考えています。
それでも卒業させてから、別の指導者であれば、もっと成績を残せたかも、ラグビーの魅力を伝えられたかもしれないという反省はするものです。その最たるものは、櫻井先生の代のメンバーがそろっていて、今の私の指導が当時にできていたらもう一つ上へと引き上げられていたかもしれないと、話すこともあるのです。だから私たちも常に生徒から学んでいくものなのですよね。その意味で常にみんなに感謝をしながら、グランドに立っています。

2