壁を越えたい
最後の試合を終えた部員たちは号泣でした。あの大男たちがあんな泣き方をするなんて想像もできないでしょう。それほどにあの試合に賭けるものがあったのです。正直、毎年の光景なのですが、あの場面に慣れることはありません。毎年毎年、あの場面が一年で一番つらい瞬間ですね。同じ泣くのだって、卒業式は門出ですからお祝いです。みんなが名残惜しんで泣いても、そんなにつらくはないのです。ところがあの日だけは別なのです。それはどの運動部にとっても同様でしょう。残念ながらうちのレベルの学校の場合、勝って終われる運動部は一つもないでしょう。必ず最後は負けて終わるのです。だとすれば問題は、どんなふうに負けるかなのです。
この大会のためにチームを仕上げてきました。ここまで統一感を持って、チームの方向性を決めて徹底したこともないほどです。そしてチームとしての目標を県大会でのベスト8入りとしていました。これまでも県の八本入りを考えた代はありました。もちろん実力があれば悩むこともないのですが、ギリギリのところにいるチームにとっては常に対戦相手が問題になるわけです。この大会のシード権を賭けた大会で不覚を取った以上、とにかく挑戦者であり続けねばならなかったのです。だからこそ壁を越えたいと願ったのです。
壁を越えるのはそんなに簡単なことではありません。だってその先に何があるのかを、そこにいる誰も知らないのですから、越えていくことの価値そのものに意味を見つけられるかが問題になるのです。さらに越えていくことは願っても、どのように具体化していくのかについての像がなければ、これまた難しいものです。つまり壁を越えたいと願うのですが、その実現はそれほどやさしいものではないのです。だからこそ越えていくことには意味があるし、そう志すことも大切なわけです。
このチームは壁を越えることはできませんでしたが、それでもこれまでの先輩たちがどうしても手に入れることができなかった地区の頂点に立ちました。これはうちにとっては新たな一歩となりました。だからこそ次の壁はやはりあそこなのです。そのために何をすべきなのか、それを考えねばなりません。決して潤沢な選択肢ではありません。ギリギリのカードをどのように有効に使うかが、私たち指導者の問題です。しかもカードはそれぞれに動くことができます。カードの個性を活かしながら、チームとして機能させるために苦悩するわけです。だからこそそこに壁があるのですがね。
大学のトップチームが今季の目標に「紳士足れ」というものを掲げました。ラグビーという競技そのものが紳士のスポーツと言われるのですが、それを改めて目標とするには意味があるわけです。宿泊所の掃除に始まり、とにかくラグビー以外の時間帯にどのように行動するかを問うています。彼らはそれぞれに今までの自分たちのチームのイメージからの脱却や、うちと同じように壁を越えたいと願っています。ラグビーで壁を越えたいと思うとき、ラグビーだけをやっていても越えられないのでしょう。自分の行動のすべてが結果としてラグビーへと結びついていくのだから、自分の生活すべてが壁を越えるにふさわしくあらねばならないのかもしれません。だからこそ「紳士足れ」となるわけです。
あなたも今、それぞれに自分の進路目標を掲げて、日々努力を重ねているはずです。ただ考えてほしいのです、勉強だけが合格を勝ち取るためのものなのかを。二学期に入り遅刻が多くなった人、センター試験の志願票を忘れたからといって遅刻しても平気な人、どこかでそういう部分があなたの壁となるかもしれません。壁を越えたいと思うのであれば、壁を越えるための準備が必要です。それがどんなものなのか、まずは自分の足下を見直してみましょう。壁は実はあなたの中にあるのです。

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