ちょっとあわただしい日が続き、少し空いてしまいましたね。今日は審判についてのコラムを紹介します。私がラグビーの審判をしていることは、おそらくこれを読んでいる人たちは周知のことと思います。ラグビーの場合、動き続けている中での判断を求められるため、どこで何を見るかで、実は判定に差が生じることもあります。そのためいわゆる誤審と呼ばれる状況がないとは決して言えないでしょう。できるかぎり誤審が起こらないように努めるための研鑽が大切です。そしてほとんどのラグビーの審判たちはそれを実践しています。
イニング途中で守備要員との交代を命じると、外国人野手は、猛烈に怒る。名将水原茂監督が中日時代、つかみかからんばかりにカミつかれた。守備がヘタだと観客に知らせる交代で、恥をかかされたと言うのだ。
戦況は刻々と変わる。一点を争う試合終盤に、間髪を入れず最善の手を打つのが監督の仕事。都合良くイニングの合間に野手交代ができるとは限らない、と水原監督が言ったように記憶する。
「恥」をかいた、かかされたにも彼我の差が大きいことを、この一件で感じた。ところが、人前での恥に敏感なはずの米国人が、意図的に他人に恥をかかせようとした。広島・ブラウン監督である。
七日の中日戦での「ベース投げ」事件。冷静になった試合後の発言だから、照れ隠しでもあったのだろう。それにしても「審判に拾わせ、恥をかかせるためにやった」は穏やかでない。
ブラウン監督は選手思いの優しい紳士だ。この日も投手ロマノへの退場宣告が、ベース投げの発火点になった。選手を擁護するためなら判定への抗議も許される、とはならない。それは明らかなルール違反である。
あのパフォーマンスでロマノは精神的に救われただろうが、審判のプライドはどうなるのか。観客の面前で、誤審であると「恥」をかかされたのだ。ブラウン監督に限らず、わが球界は審判をヘタクソ呼ばわりするのに無神経すぎる。
その後、広島は「監督はベースを投げる」とプリントした赤いTシャツを着て練習した。見栄えのよくない退場事件を、赤いブラックジョークで取り繕ったと受け止めておこう。
この種の監督退場劇があると、「監督が体を張るのを見て燃えた」という選手の声がよく聞かれる。儀礼的な感じもするが、それがないと燃えないのかと言いたくなる。チーム内での思いやりは大切だが、審判の「恥」も考えてやろう。
ルールのあるスポーツである以上、そのルールに則って行われているかどうかの判定者が必要です。つまりスポーツを楽しむためには審判が不可欠な存在であるということを、知らねばなりません。審判の人間である以上、万能でも、完璧でもないでしょう。だからこそそのスポーツに携わる人間は、選手であれ、監督であれ、指導者であれ、審判に敬意を払う必要があるのです。そしてそれほど審判が信用できないのなら、一度、自分で審判をやってみるといいでしょう。審判の苦労だけではなく、選手、監督、指導者、そしてそのスポーツそのものの奥深さが見えてくるはずだからです。

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