2005/10/31
最近のあなたを見ていて気になることがあります。それは個人として判断力の問題です。「赤信号、みんなで渡ればこわくない」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。付和雷同型の日本人の気質を象徴的に表現したものだと言えそうです。
中国の環境政策に関する国際シンポジウムを北京で主催した。現場を見ている研究者や行政担当者のあいだで、マクロな分析をすれば概ね良好だけれども、ミクロに分析すると問題が山積みであることについて共通の認識が得られ、今後の研究推進を互いに約して幕を閉じた。
会議期間中、会場から別の会場まで移動するために大通りを渡らねばならない時、赤信号なので止まっていると、「渡りましょう」と一斉に声がかかった。渋滞中だから事実上止まっていたので、危険はないという判断に基づいた提案だった。
先般、モンゴル国で信号にまごついている時には、「赤で渡るのが安全ってもんだよ」と知人から声をかけられた。もちろん赤で止まるという交通規則は承知の上である。ルール違反であるがゆえに、自ら慎重にならざるを得ないので、かえって安全だという考え方に基づいた助言だった。
日本ではどうだろうか。「みんなで渡ればこわくない」という人口に膾炙した表現がある。
赤信号で止まるというルールは国際標準として共通しており、したがって赤信号をするのがルール違反であることも共通している。しかし、赤信号を無視するときの、理屈のつけ方はかなり異なっていると言えるだろう。
みんなでなら大丈夫だという日本人の思考には、道連れがいれば何とかなるだろうという安直さが表れているのに対し、モンゴル人の助言はむしろ自己責任を追求しており、中国人の提案は状況の判断に応じている。
ふと、国際的な交渉の舞台を想像してみたくなるではないか。
やはりこれからのあなたには、適切な判断力というものを養成してほしいと願っています。特にこれから海外に出て行こうとするあなたは、適切な判断力が問われるでしょう。それぞれの国ごとの文化を理解し、国際的に同じルールを持ちながらも、その適用と解釈を文化的な価値で変わることもあり得ることを知った上で、判断し行動したいですよね。
先日、一国の主が、A級戦犯が祀られている神社への参拝を周囲の国々から慎重な対応を求められながら、行いました。その上で外交は大切だと発言しても、説得力に乏しいことに気付いているのでしょうか。彼が一国の主でなければ何の問題もないわけです。ところが政教分離を唱える法律がある中で、彼の行動が適切な判断に基づいたものだとは言い難い気がするのです。戦没者に対する敬意という思いを理解しないわけではありませんが、それでも彼の置かれた立場というものを、やはり考えるべきです。それこそが判断力だと言えるでしょう。彼の判断が適切だと、私には思えないのです。
そんなことを考えると、どうしても国際的な交渉の舞台で認められにくい日本人がいる気がします。国連の常任理事国入りを目指している国のしていることではないのです。あなたは赤信号を渡るとき、どんな思いで渡っていますか。きっと何気なくですが、その何気なさにも根拠は隠れています。まずはその自覚から始めてみましょう。

0
2005/10/29
このタイトルを見て、多くの人はどんな話題になるかが想像できたと思うのです。ピンと来なかった人は、世の流れからはずいぶんと外れてしまっているかもしれません。ふと、こんなことを書きながら、八組にはロッテファンがいるのかなって素朴な疑問を持ちました。数年来のロッテファンがいたとしたら、今回は本当にそれが報われた瞬間であったろうと推察できます。以前も書きましたが、ここ十年、いわゆるAクラスにも入っていなかったチームとファンとして支え続けるのは、若い世代には難しいと思うのです。だってチームそのものが強いからこそ、魅力があるのがプロチームの基本です。そう考えると、あなたが物心付いたときに、それほど強くはなかったチームのファンになるには、別の理由を探さねばならないからです。強い以外の魅力をロッテが持っていたかは、個人の判断ですので、私がとやかく言うところではないので、コメントは差し控えましょう。それでも今回はリーグ制覇ではなく、日本一の栄冠に輝いたのですから、声高に自分はファンであることを表明してもいいですよね。ファンがいたら、是非、名乗り出てくださいね。
さてそれでも今回、四戦で決着がつくとは、誰が考えたでしょう。しかも四戦という短期決戦なら、今回とは反対の結果を予想した人は多いかもしれませんね。阪神側は、二年前の忘れ物を取りに来たという意識が強かったようで、リーグ優勝よりも日本一ということを早い段階から意識していたようです。ですから阪神ファンにはなんとも受け入れがたい結果なのです。昨年、あなたの担任だったかもしれない先生の機嫌も良くなかったようですよ。それほどに悔しいと言うよりも、屈辱的敗退と言えそうです。
この日本シリーズ、いくつかの記録というか、初めてがありました。たとえば濃霧によるコールドゲームも初めてでしたし、三戦連続の二桁勝利も初めてでした。選手の中にも記録を作った人がいました。それらはすべて勝った側の記録として残ります。連勝として敵地に乗り込むことになって、新たな敵がロッテに立ちはだかります。それはロッテの応援を規制する動きでした。ロッテは、これまた以前に書いたように、野球の応援に一般的ないわゆる鳴り物をやめ、声と動きによる応援をしています。この応援方法を、甲子園球場の老朽化を理由に控えてほしいという申し入れがあったのです。このニュースを聞き、正直、私は「せこいなぁ」と思ってしまいました。ファンあってのプロだという中で、ファンの応援に制限をかけるのは、どう考えても不自然ですからね。それでも一度、できてしまった流れを変える力を、チームもファンも持ち得なかったのです。
パ・リーグのプレイオフを勝ち上がってきたチームと、早々と優勝を決め実戦から遠ざかって、勘の鈍ったチームという取り上げられ方をしましたが、果たしてそれだけだったのでしょうか。反対に考えれば、きつい試合を続けて、心身共に疲れ切ったチームと、相手を向かい撃つに十分な時間を与えられたチームとの対戦だったとも考えられるはずです。日本シリーズに至る経緯に問題があるという指摘はありますが、それよりも一部で指摘されるように、今回は阪神のいろいろな意味での余裕が結果として自らのリズムを崩すきっかけだったのかもしれません。時間的余裕、精神的余裕、これらが余裕ではなく、どこかで驕りに変わってしまうと、こんな結果へと導かれるのかもしれません。どこかで私たちは驕らず、謙虚でいなければなりません。ロッテファン、次はいつこんな嬉しい場面に立ち会えるかは分からないとはしゃぐ姿に、そんなことを感じてもいました。

0
2005/10/28
昨日、制服について書きました。今日も引き続き、服装の話をさせてください。というのも、NBA、アメリカバスケットボールのプロ機構が今季から選手の服装の規制に乗り出すという発表があったからです。これについて、あなたはどのように考えますか、または感じますか。カジュアルでもいいけれども、ビジネスの場面で通用する服装でなければならないということを求めるようです。
バスケットはアメリカでは必ずしもインドア(室内)のスポーツというものでもないようで、場所によっては屋外のコートでゲームしているのを目にしますね。そういうバスケットに熱中する子どもたちには特に服装面で特徴的な共通項があり、俗にストリート系とか、ヒップホップ系などと呼ばれたりします。こういう服装をしている若者がすべてバスケットをしているわけではもちろんなく、ダンスの方面であったり、ラップやバンドの方面であったりもします。それでも今回、NBAではこのストリート系、ヒップホップ系の締め出しに乗り出したのです。
試合会場にノースリーブのシャツや、Tシャツ、そして屋内でのサングラスの着用を禁止し、さらに試合後の会見にキャップ、ジャージ姿での出席を禁止することとしたのです。この規制に対して、こういうファッションをしていた選手がどのように応答しているかは伝わってきてはいないのですが、それなりに抵抗もありそうですね。これを機に引退を表明するような選手も出てくるかもしれませんね。そしてそういう部分にあこがれていたファンを失うというリスクもあるはずです。これによる損失も考えねばなりません。
それでもそういう選手たちによって、定着してしまったルーズなイメージを一掃したいという思惑が強くはたらいた結果だと言えます。NBAという組織全体のイメージアップを狙ったわけです。そしてもう一つ、NBAを支える企業に対する責任も考えてのことなのでしょう。かつてマイケル・ジョーダンはスーツ姿で記者会見に臨んでいましたし、その他の選手たちの多くも彼に倣って、スーツ姿でした。そこに戻そうというのでしょう。
どのような服装を好むかというのは、少なからずその服装の持つイメージと関係を持つものです。ということは、どのような服装をするかということは、その人がどのようなあり方をしたいのか、というメッセージを含むことになります。もちろんあなたはそんなところまで考えずに、服装を選び、身につけているかもしれませんが、実のところ無意識にあなたの嗜好性が現れているわけです。あなたはどんなところで、どんな服を購入していますか。それはあなたの親しい友人になら理解されるものでしょうが、好みの違う友人には特異に映っているかもしれませんよ。
同様のことが制服でも言えます。制服をどのように着るかで、あなたは無意識のうちに自分の見られ方を決めているのです。だらしなく着ることで、結果として私はだらしないです、と周りにメッセージを送っています。これが仲間に対してだけならいいのですが、制服の場合、学校から一歩出れば、周囲にもそうアピールしているわけです。それはあなたという個人を超えて、獨協埼玉のあり方を周囲にアピールすることになります。あまりひどければ、NBAがそうしたように、徹底的な規制に乗り出さざるを得ません。それがあなたの内面とどう関わるかが失われてしまうのは、メッセージとしてはもったいないので、大きな規制が加わる前に適切な判断と行動ができるようになりましょう。

0
2005/10/27
冬服になり一月が経過しようとしています。先日、試験監督をしながら、改めてみんなの服装を眺めていました。もちろん他のクラスにも行き、同様の目で試験に集中している生徒を眺めていました。八組を見るかぎり、男子も女子も大きく服装規定から逸脱している人は一人もおらず、全体としてはほぼ範囲内に納まっているかなという印象はあります。しかも他学年の状況からすれば、相当にいい状態にあるのだろうと評価せねばならないのかもしれません。それでもどうしても一、二点、気になることがあるのです。それとあわせて、制服の話をしましょう。
学生の制服というのは、時に公的な場所へも出て行くことのできる万能なものとして存在します。制服で冠婚葬祭への出席は問題ないわけです。そういうフォーマルな一面を持つものとして、制服を位置づける必要があります。それは入学式や卒業式といった式典でも同様ですね。今のあなたの制服は、そういう場所にふさわしいものとして着られているでしょうか。かかとを踏んづけて、すり切れてしまった制服ではまずいのです。さらに詰め襟の下から、白いシャツがはみ出している状態などはどう考えても、制服の着方にはふさわしくないと言えそうです。数人、そういう着方をしている人がいますね。
私は、あなたが制服を着用する場面では、基本的にタイをすることにしています。それが時にネクタイでないことはありますが。日本ではあまり馴染みではないですが、アスコットタイという、それでもタイを絞めることにしています。そこには二つの目的があります。一つはあなたに制服をきちんと着なさいという以上、私もある一定の制約が必要だと考えるからです。その場所に適した服装という意味で、あなたが制服である場面では私もタイをすることにしています。これはあなたへ向けてのメッセージ役割をしています。リボンやネクタイが窮屈だという外したり、弛めたりする人が多いですが、制服である以上、正しくすべきだというメッセージです。ぶら下がっているだけのリボンは、本来の役割を果たしてはいません。
もう一つは、私自身の問題です。それは簡単に言ってしまえば、オンとオフとの切り替えスイッチみたいなものです。タイをする多くは、私にとって仕事の場面です。仕事と、そうでないときとを区別するために、タイをするようにしています。もちろん夏場、暑くてタイなんか絞めたくないという時だってあります。それでも仕事モードにするために、あえてタイをするわけです。そういうスイッチの役割を服装が果たしていることは少なくありません。その意味で、あなたにも制服を着ているときと、それを脱いだときとで気持ちを切り替えることを意識してほしいのです。制服を着なければならない場面では、やはり気持ちも学校用にして、制服をキッチリと着てほしいのです。制服の役割とは、そういうものなのですから。
あなたはあまり経験していないかもしれませんが、野球でもサッカーでも、試合の前日にレギュラー選手の発表があり、同時に背番号やユニフォームが配られることがあります。セレモニーだったり、儀式のように考えられたりしますが、ユニフォームという制服が特別なものであることを教えてくれるエピソードですよね。制服はそれ自体が、あなたが何者であるかを示すメッセージとしての機能を持ちます。ということは、どんな制服を、どのように着ているかが問われるわけです。正しく着てほしいものです。

0
2005/10/25
日曜日、大きな記録が生まれました。実に二十一年ぶりに競馬の世界に無敗の三冠馬が誕生したのです。二十一年前の三冠馬は、「皇帝」と呼ばれたシンボリルドルフという馬が、八戦八勝で三冠を手にしました。それから二十一年、三冠馬は出ましたが、たとえば秋の初戦になる神戸新聞杯などで負けたり、どこかで取りこぼしをしてきました。勝ち続けるというのが、いかに難しいかを教えてくれます。
競馬の世界には、出走条件が複数あります。特に三歳馬にのみ出走が許されている競争があり、その中でも格の高い競争が三つあります。皐月賞、ダービー、菊花賞です。これらすべてに勝った馬を三冠馬と呼びます。三歳馬のみに許されているということは、馬の一生の中で一度しかチャンスは与えられないのです。年間に八千頭から一万頭生産されている中で、まず最初の皐月賞にコマを進めることができるのは、多くても十六頭です。そしてその中でもちろん勝つのは一頭だけです。この一頭にしか三冠馬の可能性はなくなります。確率の世界での話なら、三冠を成し遂げるのがいかに難しいかが分かるでしょう。しかも一度も負けることなく、という条件が加われば、さらに難しくなりますね。
木曜日にどのゲートに入るか、という枠が確定してからは、この馬が負けるためのデータを探し歩いているという印象を受けるような、記事ばかりでした。たとえばこの馬の入る七番という枠は、過去において一度しか優勝馬を出しておらず、三冠を阻止された馬もいるというものや、ロッテがリーグ優勝した年に三冠馬は出ないといったジンクスのようなものまで、こじつけのようなものが紙面を飾っていました。逆に考えると、そういうもの以外に、この馬の死角は見あたらないということでもありますね。
さて当日、私は熊谷でラグビーの仕事中でしたので、ビデオで見るかぎりではありますが、それほど楽なレースではなかったようです。今までと異なる事態にも見舞われました。その一つがスタートです。とにかくスタートの悪い馬で、なかなかうまくゲートから出られなかったのですが、これまでとは違って、抜群にいいスタートを切るのです。ところがこれが災いしたのか、三千メートルという競争としては長丁場であるにもかかわらず、前へ行きたがってしまい、騎手がなだめるのに必死という状況だったのです。馬が興奮しすぎて、最後の勝負所で力を残していないのではないかと心配されるほどでした。最後の直線ではこれまでよりも明らかにエンジンのかかりの悪い感じもあったのです。これを生で見ていたら、さぞかしあわてたであろうなと、背筋が寒くなるほどです。それでもやはりものが違いました。結局、二馬身差の圧勝劇で三冠馬を輩出したのです。
この日、手綱を取ったのは武豊でした。彼はこの競争に勝って、格の一番高いGTレース五十勝に到達しました。彼にとっても、馬を初めとする関係者にとっても、大切な一勝となったようです。一生の中で一度しかチャンスが巡ってこないものというのは、それほど多くはないかもしれません。案外、私たちの生活の多くは、失敗に対し寛容で、やり直しを許してくれます。それでもやり直しのきかない勝負というものが、これからのあなたには訪れるかもしれません。その際にそのチャンスをどのように手に入れられるかを考える必要がありますね。きっと私たちの一生の中で、そういう勝負所はそんなに多くはありません。だからこそ、そういう勝負所では勝負して、結果を出せる自分でありたいですよね。いつになくプレッシャーのかかった武豊の顔を見て、そう実感した私です。

0
1 2 3 4 5 | 《前のページ |
次のページ》