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2005/9/30
「人間関係の基礎」
最近、気になることがあります。うちのクラスでも無縁ではないような気がするのですが、相手のことを思いやっての言動がどのくらいできているかということです。たとえば何かトラブルが起こって、当事者に話を聞くと、相手の非難と自分の正当性ばかりを主張するのです。自分は正しく、相手はどこまでも間違っているということを、互いに主張し続けて問題は解決するはずもなく、平行線をたどります。
これは何もあなたの身近なところでだけ起こっていることではなく、たとえば国と国との間でも同様のことが起こっていますね。すぐにあなたも思い起こすのは、北朝鮮などではないでしょうか。日本、韓国、中国、北朝鮮、アメリカ、ロシアの六カ国で話し合いをしていますが、これが何度も中断したり、物別れに終わったりの中心に北朝鮮がいるように報道されていますからね。しかも自分たちの要求はするけれど、日本が解決したい問題には取り合わないようにも映ります。報道でも何度も「譲歩」という言葉が聞かれます。譲ることをしないかぎり進まない問題というのがあります。
六カ国協議の話題の中心は「核」にあります。この核については、難しい点がいくつかあります。この会議のみならず、パキスタンなどでも核保有に関して国際的な問題として取り上げられていますが、なかなか取り合おうとしません。開発を既に終えた国は、核の軍事目的は時代遅れだとし、開発も止めたいと考えています。そのため核保有国を限ろうというはたらきかけに反発をしているわけです。開発の遅れた国ではこれから軍事的にも、平和目的にもまだまだ開発意義を感じているのかもしれません。だとすれば、制限したい国の主張と、開発を進めたい国の主張は平行線をたどるのも頷けることです。北朝鮮の主張も似たようなところにあります。核を政治交渉の道具としたいわけです。これにより政財支援を引き出したいというもくろみもあります。
互いに利害関係が絡む問題の場合、前述の通り、簡単に絡んだ紐がほどけはしないようです。ところが私たちの日常ではどうでしょうか。利害関係が成立しているとは言えない状況の中で、何がトラブル解決を邪魔するのでしょうか。その一つは単純に好悪の感情なのでしょうね。相手のことを日ごろからどのように感じているか、ということです。好きな相手に対して、トラブルが生じることは多くありません。それでも私たちは大小はともかくとして社会の中で生活をします。その社会の中は好きな人ばかりではないはずです。いろいろなタイプの人たちとどのように人間関係を構築していくかが、これからのあなたの課題だとも言えます。
そこで思い浮かんだのが、「お互い様」という言葉です。こういう表現が外国語にあるのかは分かりませんが、日本語のいいところのような気がします。日本語の中には、相手を思いやる言葉が少なくありません。その一つのような気がします。人間関係を作っていく中で、私たちは知らず知らずのうちに誰かに迷惑を掛けていたりするものです。それを考えすぎると人間関係は作れませんし、前にも進みません。だからこそ私たちは常に「お互い様」を意識するといいと思うのです。この気持ちがあれば、何かあったときに相手の気持ちを考えることができるはずです。私たちは社会の中で、誰かと関わります。その関わりの中で、私たちは互いを知る努力をすればいいのです。私たちは一人では存在しません。互いの関わり、相手を思いやる、そんな気持ちを持ち続けましょう。
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2005/9/29
「文化祭を終えて」
今朝のクラス通信は「みんなの文化祭」と題して、生徒の直筆印刷のため、ここでの配信はありません。文化祭が終わり、一週間後には体育祭です。その合間を縫うように、センター試験の願書の締め切り、獨協大学外国語学部の選抜試験が行われます。何とあわただしい月のなのでしょう。ここに私は進路の新しい企画に、3年生の引退試合があったので、今月は本当に長く感じました。そして気づいてみれば、空気はすっかり秋のものに変わっていて、春ほどではないにせよ花もそろいました。
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2005/9/26
「祭りの後」
準備はこれから始まるものに向かっていて、不安もありますが、それでも期待が大きいものです。ところが始まった瞬間に、そこからは終わりに向けて走り始めます。そうして二日間はあっという間だったのではないでしょうか。
校内をまわってみて感じたのですが、一般の方が気軽に入れる企画が少なかったですね。確かにお化け屋敷には長蛇の列ができ、待ち時間も長かったようですが、お化け屋敷に入れる人たちは年齢的にも、構成でも限られた人たちになります。小さな親子は入れないことを考えると、そういう人たちを受け入れる場所というのが必要です。劇などもいいのですが、上演時間があり、いつでもというわけにはいきません。その意味で八組の「ジブリの森」はそういう人たちをいつでも受け入れられる場所として適切だったようです。しかもただの展示などとも違い、クイズがあることで楽しめ、しおりのプレゼント付きですから、来ていただいた方にも好評でしたね。クイズにすることで、受付と採点者という最低限度の人員確保ですむのも、当日にクラスに関われる人数からすれば適当でした。
一日目の最後は海勢頭豊さんのコンサートでした。語りは中高生には少し難しい内容もあったのですが、それでもやはり大切なメッセージが含まれていましたよ。「ちゅら」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。字は「美」を今は当てています。沖縄にできた水族館は「美海水族館」、つまり「ちゅらうみ」水族館と呼ばれたりしています。ところが海勢頭さんの話で知ったのですが、この「ちゅら」という言葉、本来は「清らか」という意味で使うのだそうです。いわゆる「美」とは微妙に異なると話していました。言葉を正しく理解して、正しく使わないと、文化が失われると話してもいました。これからを担うあなたへのメッセージがたくさんあったので、多くの人に聞いてほしかったのですが、高校生の参加が少なくて残念でした。
みんなで作り上げたものを壊すことは切ないですよね。最近はあまりそう感覚もなく、壊してゴミ捨て場にという空気もあったりして、ちょっと寂しい思いをすることもあるのですが、できたらみんなで作ったものを惜しみながら処分をしてほしいと願うのです。もちろん形あるものは、やがてはその姿をなくすものですから、なくなることを悲しむ必要はないのかもしれません。それでも自分たちの手で作り上げたものに愛着を持たない、持てないというのは、悲しいものです。もののあふれる時代ではありますが、大量生産大量消費の時代は終わりにしなければなりません。限りある資源を大切にするという発想が必要です。そのためにはまず自分の作り上げたものに愛情を注ぎ、慈しむ心を持ちましょう。
祭りの後の静けさは、祭りが盛り上がれば盛り上がっただけ切ないものです。日常の中にこういう非日常が入ることで、私たちの生活のアクセントになります。花火のようにきれいに開いてパッと散る、そして私たちの記憶に鮮明な色を残すような、そんな日になったら幸いです。昨日の夕方、みんなの顔には疲労の色がにじんでいましたが、ただ疲労だけが残ったのではないことを願っています。疲れた以上に楽しかったという言葉が聞けるといいのですが…。
私は昨日、時間をずらして行われたソフト部と教員との対戦で、生まれて初めてサヨナラヒットなどを打って、これが今年の文化祭の一番の思い出となりそうです。さて次は体育祭です。我が黄色軍団の活躍を期待しています。まずはお疲れ様でした。ありがとう。
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投稿者: 担任
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2005/9/25
「自分たちでやることの意味」
数日前には果たして無事に当日を迎えられるのだろうか、と心配しましたが、滑り込みセーフでしたね。当日には既に疲れた顔の人たちもいました。それが今回の準備を象徴しているようです。比較的早い段階で企画は決まりながら、その後、なかなか具体化せず、それでも夏休みに会合を開き、全体像が何とか見えてきました。それでも具体的な役割分担は二学期に入ってから、作業に移ったのは文化祭の開催週でした。何度かホームルームでも、それから文章でも提案しましたが、全体をまとめる役割を誰が担うかが最後までハッキリしないため、作業がなかなかはかどらなかった感があります。
企画の方向性としては間違っていなかったと考えています。当日、教室にいられるメンバーを考えれば、妥当な企画です。そしてジブリという視点も悪くはなく、工夫の余地は十分にありました。ところが本音を言えば、せっかくブルーシートで教室を仕切るのだから、もっとスケールの大きな展示ができたと思うのです。描いていた一つ一つの絵は、数倍大きくしても問題はなかったし、むしろその方が見栄えがしたかなとも思えます。説明も無理に模造紙一枚に閉じこめなくても十分にスペースはありましたね。その点がいかにも惜しいかなというのが、担任の目です。
それでもみんなが楽しんだのならいいのですが、そこが問題です。どうも乗り気でないメンバーがいたり、一人で仕事を抱えて疲れ切ってしまっているメンバーがいたりで、せっかくクラスで参加しようという、元々の趣旨が忘れ去られていたのが残念です。もしかしたらもう少し担任が入ってくれればいいのに、と感じていた人も少なくないでしょう。中学の時はもっと手伝ってくれたと思っているでしょう。そこが中学と高校の決定的な差でもあります。中学はどうしても教員主導で文化祭は準備から当日まで運営されます。ところが高校ではあくまでもクラス参加は任意で、その決定権はクラスのメンバーが持ちます。そしてクラスでも確認したとおり、みんなで参加を決めました。参加を決めたのがあなたなのですから、その責任もあなたにあります。つまり参加を決めたあなたが自分たちで作り上げなければならないわけです。ですから、あえて私はあなたから依頼されたこと以外は手を出さないことにしたのです。
行事が好きなのは、なにもあなただけではありません。私も大好きです。本当はあなたたちにいくらでも手を貸す用意はありました。それは条件として、相談されたらなのです。実際には自分たちで何とかしようという意識からか、私のところに具体的な相談に来る人はおらず、結果として買い出し係だけとなりました。それはそれで、あなた方が自分たちでやりきったことなので、十分に価値があります。誰かに責任を預け、依存しているうちは精神的にも楽です。ところがそれができなくなると、精神的に追い込まれ、余裕がなくなり、疲労はより大きくなります。今回、疲れている人たちは、そういう段階に達した人だとも言えそうです。
年齢が上がるにしたがって、一見、同じような企画・行事でもそこで求められるものは自ずから異なります。文化祭なども同様です。中学から高校へと変わり、あなた方か背負う責任も重さを増します。それはこの後の体育祭も同様です。誰かに楽しませてもらう段階から、自分たち自身で楽しんでいくことを覚えなければなりません。それが今回の自分たちでやったことの意味になります。そして今日を楽しみましょう。
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投稿者: 担任
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2005/9/24
「ものづくりの楽しみ」
あなたが中学一年生、最初の文化祭を経験したとき、私は高校三年生の担任をしていました。その年、私は埼玉国体の前年で、とにかくラグビーの研修で忙しく、ほぼ毎週、土曜日を不在にしていました。そのころ、三年生の土曜日の四時間目はロングホームルームです。そこに私はいないのです。進路関係を火曜日のロングホームルームでこなし、土曜日はいくつかの課題を置いていきながら、行事についての話し合いに充てていました。そこで彼らは私が不在の中、クラス委員、各委員を中心に実に効率よく話し合いを進め、私は結果だけを報告されたのです。
文化祭の企画も、体育祭の選手決めも、Tシャツのデザインも私のいないところで、特に問題もなく、スムーズに進んでいきました。文化祭は何と劇だというのです。三年生にもなって、というのが私の偽らざる思いでした。ところが彼らの劇に対する思いは、並々ならぬものがありました。一、二年の時はクラブで、クラスにいられなかったメンバーが暮らすという単位でやってみたかったようです。クラスは推薦よりも圧倒的に受験組の方が多く、そんなことをしている場合ではないでしょという思いも、私にはありました。それでも彼らは予備校へは休まず行き、授業も何とかこなし、空き時間に着々と準備を進めていったのです。
それでも私が感心してしまったのは、彼らがダブるキャストで準備していたところでした。理由を聞いて納得したのですが、ダブルキャストにすれば、どちらか一日は文化祭を見て回れるというのです。昨年までクラブで忙しく、他の展示や団体をゆっくり見ている暇がなかったことを、考えての判断です。しかも講演時間も、他の三年生のクラスとある程度、調整をして、ずらして配置するという配慮までしていたのです。彼らが三年の経験の中で、学んでいるものは少なくないのだなと感じた瞬間です。
そして昨日も書きましたが、みんなでワイワイ準備している空間を楽しんでいました。三年生のほとんどのクラスが、劇やダンスなどであったためライバル意識もあり、準備は加熱する一方でした。その様子も実はビデオカメラに納められていて、かけていたCDに合わせて教室で大合唱している映像には、こちらがあきれてしまうほどの空間がありました。最近では使わない言葉ですが、まさに「青春」というのはああいう瞬間を表現するのだろうなと思ったのです。
その前の年、私のクラスはビデオで見てもらった迷路でした。あのときもまさに大きな落書きを楽しむ高校生がいました。文化祭では何かを形にしていく具体的作業があります。ここでものづくりの楽しみを体感して、場合によっては自分の進路まで方向付けられてしまうこともあります。自分たちの作ったものを喜んでくれる人たちがいることで、自分の中で新たに形作られていく何かがあるかもしれません。それはみんなで作り上げたように目に見えるものではなく、作り上げたことによって感じる何かですが、それはあなたに確かな手応えを与えるはずです。
今年の文化祭で、あなたの中に何が形作られていくか楽しみにしています。そのためにはこの二日間を充実させる必要がありますね。クラス、クラブ、どこでも構いません。自分の居場所としたところで、一所懸命にやってみましょう。楽しい二日間になることを期待しています。
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投稿者: 担任
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